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              道化

[1]酒を寿ぐ「酒解之神
                    

大正2年(1913)、考古学者鳥井龍蔵博士は、深い樹木に覆われた道を遡り、大峡(おおかい)地区に至った。そこは、現在の国道10号線を北上し、延岡市を通り過ぎる辺りから西へそれて谷沿いに遡行する道で、木立の向うに高く聳える岩山が見える場所であった。雲を頂いて聳える山は可愛(えの)嶽であった。

大正12年(1923)に著された「延岡大観」(山口徳之助)という書物は、『邇邇藝命崩(カンアガリ)し賜う エ(可愛)の山深く木を伐り岩を起こし日不見(ヒミズ)の岩を目標(メジルシ)に隠し奉る 木花咲耶媛崩(カンアガリ)し賜う 邇邇藝命御陵脇に隠し申さんとなしつれど その日雨風強く行き来さえ叶わざりければ 山の麓に隠し奉る』という伝承を記す。邇邇藝命の陵墓は、現在、薩摩川内市「可愛山陵」、日南市鵜戸「可愛山陵」、西都市「男狭穂塚古墳」と上記可愛嶽が比定されており、いずれも宮内庁陵墓参考地となっている。大峡地区では、鳥井博士の調査により積石塚、磐境(ストーンサークル)、立石(メンヒル)などの巨石遺構が確認されている。大峡の谷の源流部(可愛嶽の西麓)に竹谷神社があり、ご神体は、剣尖型の自然石(メンヒル)である。

この竹谷神社に伝わる大峡神楽には、「七荒神」の舞があり、その中の演目として「風の神・志賀津彦(志那津彦)」の舞があることを、この連載「番外編」で書いた。風の神・志賀津彦は、疾風のごとく現れ、激しく舞う。その激しい舞に誘い出されるように、二体の飄軽な神が登場する。「酒解(さかどき)之神」である。この二神は、手には盃を持ち、肩には徳利を担いで、すでに酔っている。足元はふらつき、身体は大きく前後左右に揺れ、拝観者に酒を注いだり、返杯を受けたり、若い女性に抱きついたりして、大騒ぎに場を騒がせながら現れるのである。そして、
「そもそも 酒解之神とは我がことなり ぎの御あらかびます大君と祝の豊神酒(とよみき) 我酔ひにけり」
と口上を述べる。その趣意、および前段の荒神語りなどから、酒解之神は、この地に渡来した神々(天孫族の一行)を迎えるために、風神、雷神、水神、龍神などの土地神=土地の精霊たちとともに出現し、祝言を述べようとする場面のようである。
古代、新たな支配者に対して、先住の民が服従の意を示す時、「祝言=壽詞(よごと)」を述べ、「舞=芸能」を奉納した。また、祭りに際し、神意を得るために新穀から得られた酒を献上した。神事に奉仕する清らかな童女が白米を噛み、壺に吐き入れて発酵させた酒がそれで、良酒を得るために歌い舞われた呪術が「酒楽(さかほがい)」であった。
大峡神楽の酒解之神は、酒造りの神または神前に酒を供えた土地の精霊であろう。陽気な精霊は、神楽の場に出現し、舞い、遊ぶ。酒解之神の酔い振りは、まさに「神遊び」であり「酒楽」である。樹林に覆われた神社の境内は、ひととき、神と精霊と人々との饗応の場と化すのである。

[2]樽を担いで現れる神                    

椎葉大薮神楽(大河内神楽系。大河内地区の大河内、合戦原、矢立、大藪の四地区の共同で持ちまわり式により開催される。そのため、内容はほぼ同じ様式、仮面は同一のものを使用。筆者が見たのは2006年開催の大藪神楽)では、中盤を過ぎるころ、「森」という演目があり、その中に「弓の手神楽」が組み込まれている。弓矢を持って勇壮に舞う。同様の神楽は、椎葉地方では「鹿狩りの神楽」とも「山の神神楽」ともいわれる。弓矢を採り物とする神楽は九州山地の神楽では重要な演目と位置付けられ、「弓将軍」「弓の正護」などとも呼ばれ、「将軍舞」と混交している例もみられるが、椎葉では、狩猟儀礼との強い結びつきを感じさせる。

大河内系神楽には、かつて「弓の手」の前に「御酒(ごしい)ほかい」という演目があったらしい。烏帽子、白衣、白袴の舞人による一人舞で、左肩に弓二本、お膳、御器、御幣を持って舞い、太鼓に腰かけて「ごしい(御酒)」を振りまく形をしたという。大薮神楽の「弓の手」は二人舞で、舞笠を被り白衣を着て、右手に鈴、左手に弓を持って舞う。はじめに一人が右手鈴、左手弓二張を合わせ持ち、唱教を唱える。
この舞の終わり近くに、榊を持った村人たちが、御神屋に乱入してきて、ヨイサー、ヨイサーの掛け声とともに乱舞する。激しい舞が終わるころ、村人の代表と神主が問答をする。神主は、「神前を荒らすことは許せない」と憤り、村人は「樽一本で許して下さい」と詫びる。当意即妙の問答が場を沸かせ、「酒二升=宝」が渡されて、村人は退場する。そこで、次の演目「樽面」となる。「樽面」とは、赤ら顔の道化面である。舞笠を被り、赤襷をかけ、大きな酒樽を担いで、台所からよろめき出て来る。そして、樽の栓に口をつけ、足をかけて栓を開け、腰を振りつつ舞いながら、酒を湯飲みに注いでは飲み、舞人(祝子)にも注ぎ、客席を巡っては、村人や拝観者にも酒を振る舞う。神楽の場は、ますます賑やかさを増す。その後、樽面が御神屋正面に樽を置くと、「芝荒神」が現れ、樽に腰かけて神主と問答をする。この荒神は、「黒い荒神」である。

折口信夫は、「国文学の発生」(昭和二年)他で、「ほかひ」とは、古代、宮中において行われた大殿(おおとの)祭で、神と天子が「にへ(贄)」をともにし、壽詞(よごと)を述べること、新室(にいむろ)を寿ぐ祝言、酒を醸す時の歌舞など、「言ほぎ=言葉による占い」すなわち「呪言=壽詞」がその原義であると解説している。
 大藪神楽の「弓の手」の場面に乱入する村人は、神楽を寿ぎに現れた「山の神の使い=土地の精霊」であり、「樽面」は、「酒造りの神=酒ほがひ」であろう。椎葉には、大河内地区に隣接する栂尾神楽に「酒ひらき」があったことが古記録に記されており、不土野神楽には、現在も稲荷神楽の中に「酒ぼかい」が伝わり、清めた酒を招いた神々に勧める舞となっている。
 なお、椎葉一帯は酒税法の適用外地域で、昔も今も自家秘伝の「どぶろく」が製造されている。神楽の折に振る舞われるこの一杯のどぶろくの味はまた、格別である。

[3]少彦名神の舞「八鉢」                    

「古事記」「日本書紀」には、「酒ほかひの歌」が記録されている。
『コノ神酒ハ 我ガ神酒ナラズ ノ神 常世マス タタス 少御神ノ 寿キ 寿キ 寿キルホシ シ神酒ソ アサズセ ササ』
というもので、朝鮮半島遠征から還り、国内の騒乱もほぼ平定した神功皇后が、敦賀の海へ禊に出かけた太子(後の応神天皇)が帰ったことを喜び、大殿で「宴=まつり」を開いて歌ったのである。神意を告げる巫女でもあり、当時の国の王でもあった神功皇后が、「待ち酒をみ」とあるから、太子の帰りを待ちながらみずから米を口に噛み、酒をして、その酒で祝ったのである。その「喜びの言葉=言寿ぎ」こそ、「酒ほかひ」であった。

詞章の中に出て来る少御神(少彦名神とは、大国主神が出雲の「御大之御前」で出会った神で、海の彼方から蔓芋の実の船に乗ってやってきた神である。蛾の皮を剥いだ服またはミソサザイの皮の服を着て、大国主神の掌の上に乗り、頬をつついたという愛嬌のある神は、神産巣日神(記)または高産巣日神(紀)の子で、指の間からこぼれ落ちたほど、小さな神であった。漂着神・海神などの性格を合わせもつ少彦名神は、大国主神とともに国作りをするが、その役割を完全に終える前に、粟殻に弾かれて常世の国に去ってしまう。これらの愛すべきエピソードをもつ少彦名神は、開拓神、薬神、酒造りの神、芸能神として各地で信仰されたのである。

 高千穂神楽には、「八鉢」という演目があり、少彦名神が登場する。黒い布の頭巾を被り、裁着袴に襷がけ、すね当てを着けて現れた少彦名神は、腕組みをしたり、天の一角を指差したりしながら御神屋を巡る。飄軽な仕草をしたり、床に寝転んだり、逆立ちをして足の指で御幣を挟んで舞を舞ったりして、激しく動きまわる。口をへの字に結び、顔をしかめた能面のべしみ型の面を着けている。その所作から、「道化」に分類されるべきだが、眼光は鋭く、見ようによっては怖い印象も与える。やがて少彦名神は、太鼓に飛び乗り、撥を取って太鼓の曲打ちをしたり、太鼓の上で逆立ちをして、御幣を足指に挟んで舞の所作をしたりと、さまざまな曲芸を披露する。この様子は、少彦名神が唐国から宝物や薬草などを入手して帰国する時、船べりを叩いて喜びを表現した場面、または、太鼓を打って山や畑の地霊を鼓舞し、豊穣を祈願する呪法といわれる。

 笛が早調子となり、太鼓が激しく打たれる。少彦名神を演じるのは、小柄な芸達者のホシャどん(祝子)または身軽な少年である。敏捷な動きで舞ったあと、この小さな神は、あっという間に退場する。粟殻に弾かれて「常世の国」へ去ったという逸話を表現しているのであろう。高千穂神楽では、「八鉢」に続いて「御神躰」という演目が組まれている。これは「酒濾しの舞」ともいわれ、伊邪那岐命伊邪那美命のニ神が酒造りをし、国生みの場面を演じる。鬼神面の伊邪那岐とお多福面の伊邪那美が、仲睦まじく酒造りをし、酔ったあげく、性交に及び、それによって天地万物が創生されるのである。「八鉢」と御神躰は、一連の祝いの舞であろう。

(以下作業中)

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工事中

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(SINCE.1999.5.20)