インターネット空想の森美術館


     森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館
       由布院空想の森美術館/小鹿田焼ミュージアム溪聲館

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由布院空想の森美術館

 空想の森から<1-4>

空想の森コレクション
高見乾司の本


 九州民俗
仮面美術館

高見乾司の活動ファィル゜

神楽を伝える村へ―MIYAZAK I 神楽画帖展

アートフェアアジアフクオカ23

オンラインショップ〈1〉
野の壺・野の花・野の仏


オンラインショップ〈2〉骨董・ARTアンティーク

オンライン展覧会〈1〉野の壷野の花野の仏

オンライン展覧会〈2〉展示も「創作=アート」である

オンライン展覧会〈3〉地霊鎮魂

オンライン展覧会〈5〉春の森へ・空想の森コレクション

オンライン展覧会〈6〉壁の物語

オンライン展覧会〈7〉磁場との対話

小鹿田焼ミュージアム
溪聲館


土佐の祈祷神楽「いざなぎ流」を訪ねる旅

おしえて
神楽おじさん、神楽ってなあに


宮崎の神楽
を語る


神楽セリ歌採集の旅から

甲斐の国
信玄公出陣
の神楽


神楽と仮面1
高千穂の
仮面神


神楽と仮面2諸塚神楽の仮面

LIXILギャラリー企画展
山と森の精霊
高千穂・椎葉・米良の神楽展


宮崎の奇祭
「ハレハレ」と
「イブクロ」


浅草で神楽
神楽という
祝祭空間へ


アートスペース繭の企画展

更紗と型染めの旅

野の紬/
山繭と山繭紬のこと


西米良神楽

韓国仮面劇を訪ねる旅

海神に捧げる神楽大隈半島内之浦の
夏越祭りから


黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)の仮面

鹿祭りの里へ・奥日向中之又の四季


狼を祀る山


ミュージアムショップ空想の森

祈りの丘空想
ギャラリー


 骨董:アートアンティーク/ 空想の森
コレクション室
   ☆☆
アートアンティークの時代
   ☆☆
 平佐の郷愁
   ☆☆
 龍門寺の
「白」と「黒」

   ☆☆
苗代川の黒
   ☆☆
 茶碗と飯碗
   ☆☆
徳利を愛でる
   ☆☆
雑貨アート

 雑貨主義
   ☆☆
がんじいの骨董手控え帖

 骨董伝説
Lejend of sssKottoh

里山を育て薬草と染料の森を作る仕事

空想の森の草木染め<3>

空想の森の草木染め<2>

空想の森の草木染め<1>

自然布を織る


森へ行く道


風を釣る日々

仙人の釣り方


風のアート・
野のアート 

   ☆☆
 町づくりと
 美術館
由布院空想の森美術館 の15年


 地域再生と
アートの出会い を巡る旅


 高千穂
秋元エコミュ    ージアム


かかしアートとギャラリー
 高倉のこと


空想の森のアートワークショップ

石井記念
友愛社


このコーナーの文は、加筆・再構成し
「精霊神の原郷へ」一冊にまとめられました

 黒い女面/
  黒神子


  猿田彦

海神の仮面

 王の仮面

 忍者と仮面

 鬼に会う旅

 荒神問答

米良の宿神

  道化

  翁面


 このコーナーの文は加筆再構成され
「空想の森の旅人」
に収録されています

森の空想
エッセイ


自由旅


漂泊する
仮面


  

 2018年5月、「由布院空想の森美術館」が17年ぶりに再開されましたが、
1年後には新型コロナウィルス感染症が発生、世界的な流行となり、同館は細々と
営業を続ける状態が続きましたが、2022年5月、「空想の森別館:林檎蔵ギャラリー」
を開設することができ、第一期の空想の森美術館閉館以来、およそ20年の年月を経て、
実質的な再起を果たすことが出来ました。その間、ロシアによるウクライナへの侵攻
という信じられないような「戦争」が勃発し、世界がうつむき加減の時代において
「このような時代だからこそ、アートの歩みを止めてはいけない」
が私たちの合言葉となったのです。
このホームページでは、日々更新される「森の空想ブログ」と「フェィスブック高見乾司」
等の情報の中からピックアップした記事をファィルしてゆきます。
過去約30年間のデータも保存・再生されました。
以前、ホームページはインターネット上の「博物館・美術館・図書館」
のような機能であるという記事を読み、なるほどと頷き、ファイルを続けてきました。
旧・由布院空想の森美術館が閉館になった時のこと、その後、宮崎へ移り住み、
神楽の里へと通い始めたころのことなど、およそ四半世紀にわたる記録となっています。
再開への道のりの中に「インターネット空想の森美術館」という機能も組み込まれています。
これらのデータを整理しながら、順次、ファイルを続けてゆく予定です。
どうぞよろしくお願いします。


高見乾司の活動ファィル

*必要が生じ、作成したものをここに収録しました。
これが、初期の由布院空想の森美術館設立から現在に至る
活動の記録と報告となっています。



神楽を伝える村へ

高見乾司/MIYAZAKI神楽画帖展2023



 
AFAF:ART FAIR ASIA FUKUOKA 2023

【神楽を伝える村へ/高見乾司:MIYAZAKI神楽画帖展】は

AFAF:アートフェア・アジア・フクオカ 2023
2023年9月22日〜23日

にコラボレーション出展します。


由布院空想の森美術館
17年ぶりに再開オープン
2018年5月20日




 【西日本新聞5月22日付記事より】
由布市湯布院町川北平原で20日、17年ぶりに再開した私立美術館「空想の森美術館」。
監修する高見乾司さん(69)は「再び、湯布院の文化や芸術の発信拠点に育てていきたい」と意気込む。館内には高見さんが収集した国内外の仮面がずらりと並ぶほか、「3人展」と題し8月末まで、
いずれも弟で写真家剛さん(67)、竹細工作家八州洋さん(61)の作品も展示している。

同館は、解体寸前だった築150年以上の古民家を再利用し、知人から借り受けた土地に移築した。
メインの仮面は主に、2階吹き抜け部分の壁に展示。古くは南北朝時代の面もあり、「歴史的価値も、希少性も高いものばかり。初めて見る人でも、仮面の魅力が伝わるはず」と高見さん。

壁面や1階には、剛さんが撮影した修験僧や祭りなどの写真、八州洋さんが作製した竹細工があり、
展示作品数は計100点近くに上る。八州洋さんは「美術館再開を湯布院の
人々が受け入れてれたことが、何よりもうれしい」。館長を務める剛さんは「兄の集めた
仮面の魅力を、こだわりの作品でさらに引き立てている。ぜひ見てほしい」と来館を呼びかけている。





由布院空想の森美術館




九州民俗仮面美術館






   

   

   



《以上は九州民俗仮面美術館展示品》




九州民俗仮面美術館

友愛の森里山再生アートプロジェクト
西都市・木城町・高鍋町の三地域が近接する茶臼原の森で取り組まれてきた
「友愛の森/里山再生プロジェクト」がこの春、アートの企画として起動します。
2018年の台風24号で被災した森を修復しながら、薬草・染料・食材などが得
られる本来の「里山」の機能を回復させ、育てるプロジェクトです。




ところ:宮崎県西都市穂北1358 [石井記念友愛社敷地の森]



空想の森の草木染め





小鹿田焼ミュージアム 溪聲館

2016-720日 開館
*コロナ過の中、健気に開館中です。コロナ対策万全にてお訪ね下さい。

九州北部にそびえる霊峰英彦山の東麓、日田・小鹿田焼の里に隣接する「ことといの里」に
[小鹿田焼ミュージアム溪聲館]が開館。江戸〜明治期の古作300点を収蔵・展示する研究・交流施設です。




[豊後の民陶・小鹿田焼の郷愁]
 小鹿田焼は、昭和二年、民藝運動家・柳宗悦によって見いだされた。旅の途上、立ち寄った一軒の陶器屋に並んでいた雑器がそれであった。
柳宗悦は、その美を、唐宗の焼物に匹敵し得ると評価、四年後、自ら小鹿田の土地を踏んだのである。そして昭和二十六年、英国の陶芸家・バーナードリーチ氏を伴った柳氏の再訪によって小鹿田の評価はゆるぎないものとなる。リーチ氏は、小鹿田に滞在し、
その技法を学び、また自身の美学を教授した。

小鹿田の歴史は、三百年余。高取焼の系譜を引く小石原の分窯である。したがって、日本の陶芸史の中では後期の創窯にあたるが、諸方の窯が次々に近代化され、変貌を繰り返したのに比し、この窯は、世襲制の原則を貫き、伝統手法を守り続けてきた。
日田市の山奥に位置するという地理的環境、主として農村地帯の日常雑器を作り続けてきたという歴史などによって、日本の陶芸の古法が守り伝えられてきたのである。
トビカンナ、刷毛目、打ち掛けなどの技法は、李朝陶芸の手法を彷彿とさせ、飴釉や黒釉などには、柳氏が指摘したように古代中国の陶器に比肩し得る作がある。
また、茶壺、大甕、大型の口付き徳利・雲助などには、庶民の日常生活から
生み出された自由闊達なデザインがあり、味わい深い。
これらの実績により、小鹿田焼は平成七年、「国指定重要無形民俗文化財」に指定され、
平成八年には「日本の音百選」にも選出された。唐臼がのどかに土を挽く音を立てる小鹿田の里は、文字通り、集落全体が生きた文化財であり、
後世に残し伝えられるべき歴史遺産なのである。

上記写真は「由布院空想の森美術館」(1986-2001)で1998年に開催した「小鹿田古陶展」の
ポスターに使用したもの。同館の中庭で撮影した。折から山桜・楓・ヤマボウシなどの紅葉が散り敷き、民陶・小鹿田焼にふさわしい背景となった。文章も同展のものに加筆。「小鹿田古陶展」は1989年にも開催。この時のコレクションをもとにその後収集を加えた200点が、
同館閉館後も当時のスタッフたちによって大切に所蔵され、
「小鹿田焼ミュージアム溪聲館」の開設へと結びついたのである。
小鹿田焼ミュージアム 溪聲館

フォルダへのアクセス
過去の活動記録、「森の空想ブログに連載された記事、
新聞、雑誌等の掲載記事などを項目別にファィルしました。



おしえて神楽おじさん    甲斐の国の神楽



野の紬・山繭紬のこと
     更紗と型染めの旅
    アートスペース繭     いざなぎ流を訪ねる旅


里山・薬草・染料の森
     森へ行く道        風を釣る日々       仙人の釣り方  

 九州神楽紀行 

2020年は新型コロナウィルス蔓延の影響で、神楽はすべて中止となりました。
2021年はコロナ過が終息したと判断した時点で再開予定です。

お問い合わせは
高見乾司の携帯電話090-5319-4167
または高見乾司のフェィスブック・メッセンジャー、
九州民俗仮面美術館のfax0983-4101281へお願いします。
企画への参加申し込みは「阿蘇トラベルデスク」FAX0967−67ー1540へお願いします。



宮崎/神楽探訪2021
九州・宮崎の神楽は、天孫降臨伝承・天岩戸伝承(大和王権樹立の物語)を骨格とし、五穀豊穣・狩りの豊猟を祈願して、来る年の幸いを願う集落の祭りです。古代国家創生の英雄たちに続き、土地神たちが次々に降臨し、深い山や森に抱かれた集落・黒潮の轟きを聴く海辺の村の物語などを語り継ぎます。神楽は、集落の氏神を祀る神社での神事のあと、降臨した神々が村を巡り、当夜の「神楽宿(民家または神社の境内に設営された御神屋)」に舞い入り、夜を徹して33番の「夜神楽」が舞い継がれるのです。神楽歌が歌われ、古格を保つ仮面神が次々に登場します。「仮面文化の十字路」ともいわれ、多くの情報を秘める「神楽」の現場を、長年、仮面の収集と研究を続けている「九州民俗仮面美術館」の高見乾司館長、日本のルーツ音楽を神楽に求め、全国の神楽を行脚している音楽家・三上敏視氏、由布院空想の森美術館・館長高見剛(写真家)、南阿蘇/九州学び舎主宰長野良市(写真家)等々、長年神楽取材を続けてきたその道の達人たちがご案内し、伝承者の皆さんや地域の人々と交流します。山郷や海辺の村に伝わる美味しい神楽料理や個性豊かな里人との出会いも、この旅の魅力のひとつです。


◇この企画は、「一般社団法人/九州学び舎(南阿蘇・長野良市主宰)」
「九州民俗仮面美術館(宮崎・高見乾司主宰)」
「伝承音楽研究所(東京・三上敏視主宰)」
「由布院空想の森美術館」(高見剛・主宰)
の共同企画として実行します。これまで別々に実施していた
神楽フィールドワークが一つに合流し、実現しました。

◇参加費 1企画15000円 *当該空港・最寄の駅までの交通費・宿泊費は個別負担、
神楽座に奉納するご神前(3000円程度)、各地での食事代等は各自現地清算です。
*神楽の全貌を見るため、前日宮崎入りを基本プランとします。
フライト&ホテルパック(東京・宮崎往復/旅費プラス一泊で30000円前後)がお勧めです。
神楽当夜は現地で夜通し神楽を見ます。



企画<1> 高千穂「秋元神楽」
□今季の募集は未定。



企画<2> 高千穂「岩戸五ケ村神楽」。
□今季の募集は未定



企画<3>  西米良村「村所神楽」*南北朝伝承を秘め山人の儀礼が混交する古式の神楽
□今季の募集は未定



企画<4> 日之影町「大人神楽」*24時間を舞い継ぐ圧巻の神楽
□今季の募集は未定



企画<5> 諸塚村「戸下神楽」*戸数9個の集落が20時間を舞い継ぐ神秘の山地神楽
□今季の募集は未定



企画<6>諸塚村「南川神楽」*百彩の森と呼ばれる太古の森に伝わる精霊たちの祭り
□今季の募集は未定



□今季の募集は未定
◇この企画のお問い合わせは
☆阿蘇トラベルデスクFAX0967−671540
☆お問い合わせは
・九州民俗仮面美術館tel(0983-41-1281)、メール(takamik@tea.ocn.ne.jp)、
高見携帯電話(090-5319-4167)
または各主宰施設へお願いします。


空想の森コレクション/高見乾司の著作




    森からやってきて、さらなる森の奥深くへ―菊畑茂久馬:

日田・湯布院そして宮崎―「地域とアート」の連携を模索しつづけたその50年は、時代性と普遍性を併せ持ちつつそのまま一つの美術史である。行動する美術家・高見乾司が、“帰る旅”の地・湯布院と美術への想いを綴る。目次:序章 花野を行く 2017/ 第1章 幻の村 1948‐/ 第2章 霧の町 1970‐/ 第3章 空想の森へ 1980‐/ 第4章 町づくりと美術館―由布院空想の森美術館の十五年/ 第5章 森へ行く道/ 第6章 精霊たちの森/ 終章 帰る旅―空想の森へ




 九州の民俗仮面のコレクションで知られる大分県由布市の私設美術館「由布院空想の森美術館」が今年5月、再オープンした。経営不振による2001年の閉鎖以来、17年ぶりの再出発。同館の監修者が、自らの歩みをつづった。石切り場で働きながら絵を描き、詩を書いていた青春時代、湯布院でのまちづくり、美術館の開館と挫折、島原や宮崎などで手掛けたアートイベント…。
地域の文化資源を発掘し、アートとして活用してきたこれらの活動を、本人は
「アーティストとしての表現活動の継続」と位置づけている。

=2018/08/18付 西日本新聞朝刊=








「百彩の森から―諸塚の神楽と人々のくらし―」
   

精霊神の原郷へ       神々の造形・民俗仮面の系譜    米良山系の神楽
 

  


  山と森の精霊ー高千穂・椎葉・米良の神楽―      西米良神楽         


ゴールデントライアングル<黄金の三角地帯>の仮面




  
 アジアの仮面50点と九州の仮面100点を展示する企画展に引き続き、「特集・ゴールデンドライアングル<黄金の三角地帯>の仮面」を開催しています。福岡県在住の研究仲間M伊藤氏とともにタイ・ミャンマー・ラオス・中国南部を訪ねる旅で出会った仮面を展示し、アジアと九州の仮面文化との比較します。併せて中国道教系の古仮面、韓国の木製古仮面を展示しています。アジアの仮面文化はインド・イスラム圏の仮面文化と古代中国を源流とする仮面文化とが交錯しながら、アジア全域に広く分布しています。九州の仮面と中国少数民族の村に伝わる道教祭祀系の仮面、韓国の仮面、東南アジアの仮面などを並べてみると、多くの共通項があり、その伝播の経路や分布図、歴史的背景などを類推することができます。黄金の三角地帯と呼ばれ、かつて麻薬の栽培地帯としてその名を知られた地域にも仮面文化があり、アジアの仮面文化とクロスしています。この地を訪ねた時のこと、仮面入手のエピソードなどは黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)の仮面のページへ。

風のアート・野のアート
 ―地域再生とアートの出会いを巡る旅―



2010年から参加している「高千穂/秋元エコミュージアム」と「平成の桃源郷/西米良村おがわ作小屋村エコミュージアム」の仕事を通じて、神楽やアートを核とした地域再生の試みが具体化してきたことを実感しています。とくに、2011年10月に「おがわ作小屋村」で開催された「九州アートネットワーク車座会議」は、およそ20年の時を経て「地域アート」「商店街振興アート」などの手法と理念が普遍化し、各地でが定着してきていることを感得させるものでした。
そこで、まずは「森の空想ブログ」で新シリーズ「風のアート・野のアート」を開始し、これらの活動を記録するこことしました。私(筆者・高見)は20年ほど前から、旧・由布院空想の森美術館の運営と平行して各地を訪ね、地域とアートの関連を模索し、提案する活動を行なってきました。そのころ、「風の人・土の人」という言葉が使われる機会を多くみかけました。「風の人」とは、他の土地から新しい文化や価値観を持って訪れる人々を指し、「土の人」とは、その土地に根付いて文化の土壌を培ってきた人たちを表します。その両者の出会いにより、新しい文化風土が生まれるのだという主旨でした。それはある地域コーディネーター(すでにその人の名前も忘れた)が使い始めた造語でしたが、たちまち現代美術のアーティストや地域づくりの仲間たちなどの間で合言葉のようになり、私もしばしば使ったものです。それを受けて、私は「風のアートに会う旅」というシリーズを館の月報「空想の森から」と大分合同新聞社発行の「ミックス」という月刊誌に連載しました。その一部は単行本「霧の湯布院から」(海鳥社/1995)に収録されましたが、大半は、空想の森美術館閉館とともにダンボール箱に詰め込まれ、多くの荷物と一緒に宮崎へと運ばれ、私の部屋の隅で埋もれたまま10年の年月が経過したのです。
「風のアート・野のアート」というタイトルには、上記の経緯を受けて一部は古いデータを掘り起こしながら、これから展開される新しい企画や活動を記録してゆくものであるという意趣が含まれています。「風の人・土の人」という言葉自体は使い古された感がありますが、そのころ蒔かれた種子は野へ飛び、次世代の表現者・創造者たちの手によって再生産され続けていたのです。

 2011年3月11日に起きた東日本大震災と世界各地で起きている変動は、この日本列島に生きるすべての人々に価値観の転換を促すものでした。その価値観の転換と創造とは、遠くを観るのではなく、いま、自分自身が生きて活動している「現場=地域そのもの」を見つめ直し、そこから生み出される新しい価値を創出することでしょう。
 このページは、前記「九州アートネットワーク会議」の記録とそれに続いて掘り起こされた「美術館と町づくり」それに続く「おがわ思い出NAVIプロジェクト」の記録から開始され、2010年6月から参加した「高千穂秋元エコミュージアム」の取り組みを振り返るところから本格的な記録に入ります。

                        風のアート野のアートへ





                           企画展
                    
南の島の古陶と精霊神

                        アートスペース繭
                会期 2011年10月31日〜11月9日(日曜休廊)
                     東京都中央区京橋3-7-10
                     TEL 03−3561−8225

 幾つかの偶然と、幸運が重なって、種子島焼の優品、沖縄の壷屋や八重山の古陶などを二年ほど手元に置き、眺めるという至福の時間を得た。
文禄・慶長の役と呼ばれる豊臣秀吉の朝鮮半島出兵の折、従軍した佐賀藩・鍋島氏、薩摩藩・島津氏などが連れ帰った朝鮮陶工は、異国の土地に居住させられその技術を求められた。悲運の陶工たちによって創生された陶磁器は、唐津・伊万里、白薩摩・黒薩摩などの名品を生み出し、日本陶芸の源流を形成したのである。
 「種子島焼」とは、島津氏が連れ帰り、苗代川に居住させられた陶工の一部がさらに南へと移住させられたという説と、島津氏とともに従軍した種子島氏が連れ帰ったものという説がある。鉄砲伝来の島としても知られるこの島の土で焼かれた日常雑器や祭器、花立などは鉄分を多く含み、赤味を帯びて硬く、渋い。戦後、発見されたこの滋味深い陶器は好事家の間でたちまち評判となり、島から搬出され尽くして「幻の古陶」となった。私のもとへ来た一群の珍品は、この時期に入手したコレクターが長年秘蔵していたものであった。
 ある一日――。私は種子島焼の「森の神」とも「窯の守り神」ともいわれる小さなオブジェを窓辺に置き、はるかな南の島を思い、望郷の念を抱いて仕事を続けた陶工たちの心情を思った。10cm足らずのこの小さな焼物は、二本の角を持ち、小さな丸い目が虚空を見つめている。すぼめた口と思われる突起には、渦巻きを思わせる呪的な文様が刻まれ、その足元にも押し寄せる海波のような造形が認められる。脇に立つ、柱状の突起物には穴が開いており、花入れ、または線香立てのような用途を連想させる。
 まことに愛らしいこの小像は、やはり、島の精霊神あるいは陶工たちの守り神であろう。日向灘の浜から拾ってきた破船の断片に乗せると、風化した船体の一部は光を受けて波のように揺れ、付着した貝殻は、磨耗した果てに、王宮の供物を飾る螺鈿細工のように輝いた。その望郷の舟は、ゆらりと南へ向けて漂い流れはじめた。

上記企画展の会期中、日本橋・人形町のウィークリーマンションを借りて、会場の
京橋・アートスペース繭まで毎日通った。人形町は古い町で、私は存分に江戸情
緒の名残を楽しみ、毎日、小文を書いてブログに載せた。文を書き始めると、人
形町界隈はかつて影響を受けた洲之内徹氏の馴染みの町であったことが思い
出され、さらに骨董とアートと文化活動の交錯などへと、連想が広がっていった。
アートスペース繭での企画展はすでに10年を経過しており、その間に出会ったり
別れたりした骨董や人との縁も数を重ねていたのである。これを機縁に、ここに
「がんじいの骨董手控え帖」という一ページを設け、追想や新しい出会いなどを書
き留めてみることとした。私は骨董とアートと文化財とを同一線上にあるものと考
えている。世間の認識とは多少のずれがあるかもしれないが、ここは我流を通さ
せていただくこととする。「がんじい」とはがんこじじいでねインドの平和主義者ガン
ジーをもじったものでもなく、がんばるじじいの略称である。では、どのようなときに
がんじいはかんばるのかというと、冬、毎週土曜日ごとに神楽の場に通い、徹夜で
絵を描き続け、仮面の起源や源流について思いを巡らし、村人と交流すること。
夏、山深い渓谷に分け入り、ヤマメを追うこと(ちなみに今シーズンは210匹の釣
果があった)、そして骨董と遊ぶこと等々である。では本文へとご案内いたします。
がんじいの骨董手控え帖



リョウとがんじいの渓流釣り日誌 

このコーナーは「遼太郎の美術館日記」「遼太郎の釣り日記」の続編です。
鈴木遼太郎君は小学校に上がる前から森の空想ミュージアムに出入りし、
「九州民俗仮面美術館」の開設も一緒に行いました。また、小学五年生か
ら渓流に入り、ヤマメ釣りの奥義や「山料理」、山菜や薬草採りの知識等
の山で生きる知恵すなわち<生態系のメカニズムと人間との共生の原理>
さらには骨董の美学などをがんじいこと高見乾司から伝授されてきました。
その遼太郎君もすでに高校三年生。人生の節目がやってくるとともに多忙
な日々が過ぎてゆきます。このコーナーではがんじいが忙しい遼太郎君に
代わって渓流でのさまざまな出会いなども含めて記録します。いつかまた、
二人で谷に立ち、ヤマメを追い、薬草を採る日が来ることを予感しながら。




リョウとがんじいの釣り日誌


空想の森の草木染め



「空想の森の草木染め」とは、旧・由布院空想の森美術館の周りの森やそれに連なる由布岳の原生林で採集し、実行していた染織の記録、その後、高見が通い続けている椎葉・高千穂・米良などの九州脊梁山地の森、そして現在居住し活動する宮崎県西都市と高鍋町・木城町にまたがる茶臼原台地の広大な友愛社の森などを包括するイメージです。とくに現在地では、「森の空想ミュージアム」で行なっていた染織の仕事を2009年に友愛社内に開設された「茶臼原自然芸術館」へと完全移転し、障害をもつ人たちとそれを支える職員・ボランティアなどの皆さんと一緒に活動を続けています。これらの活動の中から、森の空想ミュージアムと茶臼原自然芸術館の周辺の地域だけでも、50種を上回る染料植物を確認しています。現在、それを実際に採集して染め、記録する作業を続けています。この作業を核に、「高千穂・秋元エコミュージアム」や「平成の桃源郷/西米良村おがわ作小屋村エコミュージアム」など、現地に出かけて採集し染織するワークショップのデータなどが加わり、ページを構成してゆきます。
空想の森の草木染め






霧島・荒神面<九州国立博物館蔵>
旧・由布院空想の森美術館(1986−2001)は2001年に
大分県湯布院町から宮崎県西都市に移転、「森の空想ミュージアム」
に改名し、さまざまな活動を展開してきましたが、2008年4月
に、その活動と研究の中核と位置づけてきた「九州の民俗仮面」の
90点が「九州国立博物館」収蔵となり、結実しました。今後、同
博物館と連携した調査・研究など、新たな仮面研究が開始されれば、
画期的な取り組みになるものと期待がふくらみます。旧・由布院空
想の森美術館は、閉館後8年を経過しましたが、現在もその名前や
記憶、活動内容などが多くの人々の心の中に生き続けており、空想
の森美術館そのものが現在も存続しているのだと信じている人も、
多数存在するということが、最近、判明しました。現実の空想の森
美術館はこの世に存在しなくなったけれども、「イメージ・記憶・
記録」という時空のなかで、空想の森美術館は存続し続けていたの
です。そこで、今回の「九州の民俗仮面・九博収蔵」を機に、この
ホームページのタイトルを「インターネット空想の森美術館」とし、
この幸福かつ稀有な現象に実態を与えることとしました。すなわち、
このホームページに記録される「森の空想ミュージアム/九州民俗
仮面美術館」を中心とした今後の活動と、ホームページ上で掘り起
こされる「旧・由布院空想の森美術館」の活動記録が、「インター
ネット空想の森美術館」なのです。具体的には、今後の活動の詳細
な記録・報告を基本とし、「由布院空想の森美術館の15年」「森
の空想コレクション室」等のページを新設し、充実してゆきます。
かつて由布院空想の森美術館を訪れたことのある人、企画展を開催
した作家の皆さんからの情報提供などもお待ちしています。では、
新しい出発をよろしくおねがいします。
<森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館・館長高見乾司>

翁面(弘安二年銘入り)<九州国立博物館蔵>


                     特報!!

「九州国博」仮面90点購入 宮崎の美術館長収集 鎌倉─江戸の民俗資料を保護

             2008/04/07付 西日本新聞朝刊記事

 宮崎県西都市の高見乾司さん(59)が約30年がかりで収集した九州の仮面90点を九州国立博物館(福岡県太宰府市)が購入、2009年にも常設展示する計画を進めていることが6日、分かった。鎌倉時代から江戸時代末期にかけての古い仮面で、九州の民俗を探る上で貴重という。国立博物館がこれだけ多くの仮面を民俗資料として購入し、収蔵する例はほかになく、常設展示の「呼び物」の1つとしてお披露目する予定だ。

 高見さんは大分県の旧湯布院町(由布市)で民芸店を経営していた約30年前に収集を始め、1986年同町に開設した「由布院空想の森美術館」で2001年まで展示。西都市に移り住み、自宅に開設した「九州民俗仮面美術館」で06年から展示を再開していた。

 収集した仮面は約300点に及んだが、経済的事情で所有権を失っていることもあり、高見さんは「せっかく集めた仮面を散逸させず、文化的価値を広く知らせたい」と、九州国立博物館に仮面の資料を送るなどして収蔵を働きかけていた。

 同博物館は調査の上で、鎌倉時代の「弘安二年」の銘が刻まれた翁面(おきなめん)(宮崎)や南方系文化の影響をうかがわせる渦を巻いた眉(まゆ)が特徴的な神楽面(宮崎・鹿児島)、誇張された目や鼻、口が印象的な赤い神楽面(鹿児島)、頭頂部に鬼が飾られた舞楽面(福岡)など90点を収蔵することを決め、今年2月、所有者から購入を済ませた。

 同博物館展示課・楠井隆志主任研究員は「仮面は一般の人にも親しみやすい素材。実際にかぶる、のぞくなどといった体験型の展示ができるよう工夫を凝らし、来年以降リニューアルする常設展示の目玉の1つにしたい」と話している。

*上記の記事は、一面トップで報じられたため、大きな反響がありました。関係者の皆さん、ありがとうございました(高見)。


猪面d 猪面(九州山地)<九州国立博物館蔵>   所蔵

海幸彦(南九州)<九州国立博物館蔵>
 *以上の仮面は、由布院空想の森美術館旧蔵。いずれも今回九博収蔵になったもの。

森の空想ミュージアム
九州民俗仮面美術館
(2006/3月5日開館)

祈りの丘空想ギャラリー
緑の空想散歩道
自然布織り/森の空想工房

住所・宮崎県西都市穂北5248−13
TEL・FAX 0983−41−1281



森の空想ミュージアム
2011・夏のアートスケジュール
[2011年7月1日更新]


 2010年4月、宮崎県で発生した家畜の伝染病口蹄疫は27万頭にも及ぶ牛や豚の殺処分によってようやく終息の気配をみせつつあります。ここ茶臼原台地は、その中心地域となり、近隣の農家や友愛社の牛たちまで処分されい、出かけるにも気がひけるような、息詰まる日々を過ごしました。その間、お見舞いの言葉やご連絡をいただいた皆様に暑くお礼を申し上げます。
 ご心配をおかけしました。ありがとうございました。多くの方が私たちの活動を見続けて下さっている方々がいらっしゃるということを肝に銘じて、今後の仕事を記録・報告し続けようと思います。

 2009年4月に「石井記念友愛社/茶臼原自然芸術館」が開館しその仕事を手伝っています。その仕事の一環として「友愛社ホームページじゅうじの森」の制作を受け持っています。今後も
このホームページと友愛社ホームページとを連結しながら進めていきますので、どうぞ両方をご覧下さい。口蹄疫関連の記事は、友愛社ホームページと「ゆうあいブログ」に載せました。

 石井記念友愛社は、今から100年前にこの地で社会福祉活動を開始した石井十次とその縁につながる人たちが推進してきた本格的な福祉事業で、「福祉と芸術の融合による理想郷づくり」を基本理念として活動を展開しています。「森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館」の活動は、この事業に連動するものです。

<祈りの丘空想ギャラリー>

 祈りの丘空想ギャラリーは、かつて石井十次とその仲間たちが祈りを捧げた古い教会を改装して、絵画展や写真展、演奏会などの会場として利用しています。遠景には遠く米良の山脈が霞み、周辺には茶臼原ののどかな田園風景がひろがっています。 

末松正樹 遺作素描展
舞踏譜 南仏ペルピニャンから

会期 2012年4月10日―5月20日
会場 祈りの丘空想ギャラリー


   宮崎県西都市穂北5248
   TEL090−5319−4167(担当・高見)
*最終日(5月20日)は木城町石河内ギャラリー稗畑に移動して
 「天井桟敷の父へ」香山マリエと語る会を開催します。




末松正樹(1908−1997)は新潟に生まれ、幼い頃より絵を描いていたが、
画家一筋の道には進まず、1933年に上京した後は、勤めの傍ら、
高校時代から興味を抱き続けていたドイツのモダンな舞踏「ノイエ・タンツ」を学んだ。
 末松は、1939年にパリで開催された日本舞踊展覧会に出演するために渡仏し、
第二次世界大戦勃発後もフランスにとどまり、美術学校へ通い、
現地の画家たちと交友を深めた。1940年、マルセイユの日本領事館の仕事に携わるが、
その3年後、戦火に追われて逃れる途中、スペイン国境に近い南仏の町
ペルピニャンで捕虜となり、拘束されて一年あまりを過ごした。厳しい監視下に置かれ、
外出さえままならないホテルの一室で、紙と鉛筆だけを手にして描き続けた絵が、
ダンスを中心とするデッサン群であり、末松の画家としての出発点となったものである。
 終戦の翌年(1946)、日本に帰国した末松は、
活発にフランス美術や映画を紹介する文章を発表し、画家としても活動した。
マルセル・カルネの映画を「天井桟敷」と訳したことでも知られる。



末松正樹は、1923年(15才)から1926年(18才)まで、父親の宮崎県立宮崎中学校の
英語教師赴任のため一家で宮崎へ移住し、同校へ転入、3年間を過ごした。
南国の明るさは北国育ちの正樹に新鮮な驚きと感動を与えたという。このころ、
美術への関心が高まり、本格的に絵筆を手にカンバスに向かう。
2年下の吉加江京二と展覧会も開いた。宮崎の近くには武者小路実篤が実践した
「日向新しき村」があり、村の芸術家たちが宮崎で催した展覧会で
草土舎風の油絵を目にする機会があった。
また、新しき村iに近い茶臼原在住の光瀬俊明が出していた雑誌「生活者」を愛読し、
学校の文芸誌に詩を寄稿した。

 今回の企画は、当地を訪れ、茶臼原の景観や「祈りの丘空想ギャラリー」
をご覧になったこともある近代美術研究家の後藤洋明氏(東京在住)
の発案によって実現した。後藤氏は、日本の美術史に重要な位置を
占めつつある末松が多感な時期を宮崎の地で過ごしたことは、
彼の一生に影響を与えたと思われるが、この時期の資料が少ない。
ゆかりの人のお話や、新たな資料などが得られる機会となればありがたいと話している。



        
      

祈りの丘空想ギャラリー

<森のアートワークショップ>
期間 随時行います
*忍者サッカー 森の空想ミュージアムの周囲に広がる深い森に入り、
薬草を探したり、柴小屋(秘密基地)を作ったり、忍者トレーニングをしたりします。
小屋をゴールに見立てた忍者サッカーにより、
瞬発力や強靭な精神力などを身につけることができます。
*流木アート/手づくりミュージアムプロジェクト 渓流または海辺などへ出かけ、
流木や石などを採集し、 ペインティングし、
「九州民俗仮面美術館」の壁面や中庭、森の中などに展示します。


森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館の前に、黒々と深い森があります。ここは、石井記念友愛社」の初期の開拓者の皆さんが、植林し、里山として利用され続けていた森です。この森に入り、薬草や染料・山菜としてりようされる植物などを探します。次に、柴小屋(森の秘密基地)を作ります。柴小屋は、簡素な森の建築で、山仕事の人たちの仮り住まいや山の神祭りの神小屋、ときには忍者の隠れ家などとして利用されます。柴小屋作りが終わったら、忍者トレーニングのコースを作り、トレーニングを開始します。凹凸や木の枝つる草などのある森を走り回ることで、瞬発力や瞬時の判断力、困難に負けない強靭な精神力などを養うことができます。最後に、柴小屋をゴールに見立て、ゲームをします。ルールは皆で話し合って決めます。

<手づくりミュージアムプロジェクト>
   ・プログラム2005−2006・
◇1月25日 第一期内装工事(壁張りと天井張りなど)*終了

◇1月26日〜30日 自然布ワークショップ(楮の木を採集し、繊維を採り、布を作る。
              展示や照明器具などにも利用)*終了

◇2月11日〜12日  ワークショップ「九州神楽紀行」(北郷町潮嶽神楽→諸塚村戸下神楽訪問)*終了
◇2月18日・19日 漆喰塗り。天井と壁面を漆喰で塗ります。*終了。引き続き作業中。ボランティア参加者募集中。

◇2月26日 ワークショップ「竹の灯り」大分県湯布院町在住の竹工芸家高見八州洋氏を
         講師に迎え、マダケ、孟宗竹、楮の枝や流木などを利用して照明器具を作りました。共同作業で作った照
        明器具が仮面を照らし、幻想的な空間を照らしています。*終了


◇3月5日 開館。
        開館記念コンサート&パーティー 午後6時〜
       <早川広志のバロックリコーダーによる「バッハの無伴奏チェロ組曲」>
        以上、終了。





九州民俗仮面美術館へ
森の空想工房
「森の空想ミュージアム/森の空想工房」で行ってきた
「自然布・染織ワークショップは、2009年4月に開館した
「石井記念友愛社内/茶臼原自然芸術館」
へと移転しました。詳しくは

友愛社ホームページ
へどうぞ

<自然布を織る>
山野に自生する植物「楮(コウゾ)」を採集し、繊維を採り、糸にして古代の布「楮布」を織り上げます。
楮の繊維で織られた布は、古代、「木綿(ゆふ)」と呼ばれ、衣類や神が降臨する幣などに用いられました

現在は、石井記念友愛社内「茶臼原自然芸術館」にすべての機能を移転して行なっています。

 □詳細は、「自然布を織る」のページをご覧下さい。

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(SINCE.1999.5.20)