襤褸の美学/「BORO=襤褸」と民俗仮面のコラボ
・「襤褸」布団地明治時代15万円 ・神楽面古面江戸時代*ご契約済み
九州の山里や海岸沿いの村などを訪ね歩き、骨董商の集まる市場(オークション会場)を廻って古い布
などを収集していた頃、私は同業の骨董屋諸氏から「ボロ買いの兄ちゃん」と冷やかされたものだ。
農家の庭先で燃やされる寸前の布団地を買ったこともあるし、総予算1万円で大型のワゴン車一台分
の布を競り落としたこともある。皆は呆れた。だが、私はめげなかった。なんとなれば、
それらの布たちは、一般家庭の女性たちが、綿を育て、糸を紡ぎ、染めて織った文字通り
手紡ぎ・手織りの布たちであり、庶民の美意識の込められた「アート」である
と私は確信していたからだ。一針一針、縫い込まれた糸の描線。
使い古されて褪色しながらもなお美しさを増す藍の色。継ぎ足し、剥ぎ直しされて使い続けられた
愛情の痕跡。「もの」を大切に扱い、慈しむという心意。それらは、公立の美術館やデパートの
展覧会で開陳される西洋の美術品に比肩し得る「美の産物」であるとの認識であった。
その後、パッチワークのブームが到来、「古布」「時代裂(じだいぎれ)」と呼ばれる評価の時が
きて、骨董屋で古布を取り扱わない店はないほどに普及した。さらには、「BORO=襤褸<らんる>」
と呼ばれて世界のアートマーケットで高額で取引される時代が来たのである。美しい「もの」
に対する正当な評価と価値基準であると私は秘かに喜ぶものである。
・襤褸1/布団地 明治時代 全体像と部分170cm×90cm 15万円
☆仮面とのコラボが成功した逸品。
・襤褸2 明治時代 100cm×110cm 3万5千円 ☆後姿が美しい。藍染めの褪せた色と
「やたら縞」と呼ばれる絣糸の残り糸を縒り合わせて折られた布の取り合わせが絶妙。
・襤褸3 着物 明治時代 128cm×125a 15万円
☆これぞ襤褸。究極の継ぎはぎ。木綿布は一寸幅(3a角)あれば捨てるな、
と言われて大切に使われた時代の遺品。
・襤褸4 婦人服 昭和初期 70cm×133cm 3万円
☆古い着物を婦人用の服として仕立て直したもの。襟のデザインなどにお洒落感覚が
見てとれる。これを貧しさの象徴と見た時代はすでに過去のものとなった。
・襤褸6 野良着 明治時代 180cm×110cm 2万5千円
☆手紡ぎ・手織りの藍染裏地が絶品。
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風化神像/神々の漂泊
平安から中世へかけて神像が多く彫刻された。森羅万象・万物に神が宿るとし、
山や巨岩、巨木、水源の滝などに神聖を観て信仰した日本列島の人々は、仏教とともに渡来した
仏像彫刻に影響されて「神」の像を造形した。以後、仏教や建国神話と習合・混交しながら
民衆の生活の中へと普及していった。九州の山深い里に残る小さな祠などには、
まだ素朴な姿のまま残されている例がある。漂泊を重ね、
風化にさらされながらも、民衆とともに生き抜いてきた素朴な「神」の姿である。
・風化神像1 「姫神」 平安〜鎌倉時代 高さ21cm×幅11cm 25万円
収集地大分県。宇佐神宮に残る「宇佐津媛」の像が想起される。宇佐・国東文化圏を擁し、
「媛神」信仰の盛んな大分の風土の中で伝承された。原型をわずかに残すだけになっても、
神々しさと美しさを失わない姿に美の原質を見る。
・風化神像2 「天神」 高さ25cm×幅10cm 中世(室町頃) 4万円
「天神」とは大宰府に流され学問の神となった菅原天神と天孫ニニギノミコトとともに天下った
神々の一神とする見方がある。原型は総崩れに崩れ、さながら現代美術のオブジェのような形態
にまで風化してなお烏帽子に威厳を残すところが天の神の偉いところ。
・風化神像3 「マリア観音」(隠れキリシタン) 高さ13cm×幅5cm 江戸時代 8万円
小さな観音様。そのひそやかな造形にマリア様が隠されている。
山中の祠に他の神々とともに祀られ信仰されたものであろう。多言不要。
・風化神像4 「薩摩ノロの守護神」 高さ22cm×幅12cm 江戸時代 *お買い上げ済み。
桜島の対岸、金江湾の最も奥深いところに住し祈祷を生業としていたノロ(古式の巫女)
の守護神という。いかにも強い呪力を持っていそうな土着の神様。怒ると激しく祟るが、
手厚く祀れば村や家を守る守護神となる
・風化神像5 「三宝荒神」 18cm×幅8cm 中世(室町頃) 8万円
「天の神・地の神・火の神」を表す。小さな神像だが古木に置くと、
山中にいます神の威厳が示された。
・風化神像6 「毘沙門天」 高さ27cm×幅18cm 中世(室町頃) 4万5千円
仏法の守護神だが、武家の守護神としても信仰された。
天邪鬼を踏みつけた勇ましい姿。
展覧会場でも威風辺りを払う威厳がある。
・風化神像7 制多迦童子と矜羯羅童子 高さ19センチ×幅9cm 一対 5万円
山岳密教の不動明王を守護する神。
・風化神像8 童子 詳細不明 4万5千円
・風化神像9 神将 詳細不明 4万円 *ボロボロです。
・風化神像10 「神将」 詳細不明 5万円 *腕欠損
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狛犬の来た道
・木彫こま犬一対 高さ25cm×横35cm×奥行17cm 推定中世〜江戸初期 18万円
阿吽一対のこま犬。「狛犬」「高麗犬」とも表す。今回出品作の一番人気である。
仲間内で早くも惚れてしまう人がいて、「お嫁に行ったらどうしよう」
という嘆きが聞かれるほどである。
――惚れちゃいけない 他国の人に 惚れりゃ別れが なおつらい
と神楽セリ歌にもあるが、好ましい「もの」との出会いもまた一期一会。会って別れて、
美しい記憶の中に残すことも「収集」にかかわる物語の一こまである。
狛犬は、もともとは、遥か西方、中央アジアの「王家」のシンボル「獅子=ライオン」であった。
それがさらに西方へと伝わり、ギリシア神話の獅子座の思想と混交し、今度はシルクロードを
東へ旅して、仏教と合体しながら中国で「唐獅子」となり、朝鮮半島経由で日本列島へと渡って来た。
沖縄経由の黒潮ルートのものはシーサーや獅子舞とも混合するという。悠遠の旅を経て日本へ来た
獅子は、日本列島にはライオンはいないから身近な動物である犬や猫をモデルとして愛嬌のある
造形となり、神社の守護獣として定着した。
木彫のものは仏教渡来時の姿をとどめるという。この狛犬は青い塗料を重ねられているが、
下地は古い時代のもののようである。そこで中世〜江戸時代という曖昧な判定となるのだが、
細かな詮索など、笑い飛ばすようなおおらかさを持った出色の一点。
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昭和の小鹿田焼
小鹿田焼が勢ぞろい
小鹿田焼(おんたやき)は、西暦1600年に朝鮮から連れてこられた陶工により開窯された
小石原焼(福岡)の分窯として約400年の伝統を持つ。小石原から招かれた柳瀬氏と日田の
黒田氏によって小鹿田焼の歴史は始まり、日田の庶民や豪商、文人などに愛好され、
「民藝」の本質を守りながら伝えられてきた。
「昭和の小鹿田焼」は民藝運動によって認められ、発展したこの窯の高潮期を支えた
作品の一端といえよう。今回の企画に賛同した「小鹿田焼ギャラリー渓声館」の梅原館長が、
米良山脈の山越えで運び込んでくれた。
飛鉋<トビカンナ>大壷 坂本茂木作 高さ35cm×幅35cm 18万円
坂本茂木氏は昭和の名工。小鹿田焼中興の祖と呼ばれる日がくるだろう。小鹿田焼の里を
訪れたバーナードリーチ氏の世話役もした。そのデザイン感覚を吸収しながら、
小鹿田の伝統を守り続けた。俳句や短文を愛しジャーナリストの筑紫哲也氏や多くの文人とも交わり、
小鹿田焼の普及にも努めた。
白釉トビカンナ大壷 現代 高さ30cm×幅35cm 8万円
父祖の地である李朝様式を受け継いだ算盤型の大壷。白釉にトビカンナ文様が美しい。
打掛文雲助<ウンスケ> 昭和 高さ25cm×幅20cm 4万円
飴釉の肌に打ち掛け文が美しい。山藤の花が似合った。ウンスケ徳利とは、
口つきの徳利の総称。酒や醤油、台所の水などを容れた。
刷毛目に打掛文長壷 昭和 高さ35cm×幅20cm 6万円
梅干入れの壷。民家の必需品だった。
ピッチャー 坂本茂木作(大)高さ24cm幅14cm 18000円 (小)17cm×14cm
バーナードリーチ氏の置き土産とも言われる定番デザイン。リーチ氏来訪前にも
似たような容器があった。東西の陶芸文化の融合。
線描き尺皿(左) 坂本茂木作 直径30cm 25000円
トビカンナ尺皿(中) 現代 直径30cm 12000円
切れ味の良いトビカンナ。中国古代に存在した陶芸技法が小鹿田焼に残っていたことで
民藝運動家・柳宗悦が驚嘆した。技法とデザインは現代に引き継がれ、
小鹿田焼を代表する文様となった。
白釉にトビカンナ九寸皿(右) 坂本茂木作 直径27cm 12000円
中心に白い釉薬を残し、トビカンナで囲んだ円周が斬新。
・トビカンナ中鉢(左) 現代 6000円
・淡緑釉トビカンナ中鉢 5000円
・珈琲カップ(左) 現代 8000円
・マグカップ 現代 7000円
時代が新しいデザインを生んでゆく。それもまた陶芸の里の歴史のひとこま。
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