<20>狩猟神「鹿倉様」の舞
「七つの谷の集まる所」と形容される中之又の、それぞれの谷筋には、険しい山の斜面や少し開けた谷沿いの土地などに、集落が点在する。集落の裏手の細い山道の先や、道沿いのこんもりとした木立の中に小さな神社があれば、それは鹿倉様を祀る「鹿倉神社」である。
鹿倉様とは、山の神であり、鹿狩りの神である。「カクラ=鹿倉」は「狩倉(かりくら)―神座(かむくら)―神楽(かぐら)」などの言葉と連環する狩りの領域を示す言葉である。中之又は古式の鹿狩りを伝え、狩猟神「鹿倉様」が降臨する「鹿倉祭り」が残る村である。
秋も深まり、紅葉があざやかに山を彩る一日、屋敷原集落の鹿倉祭りを訪ねた。往時は、山仕事の人たちの住む小屋を含めると十数戸があったというこの地区には、今は二戸が残るだけである。代々、屋敷原鹿倉神社を守り続けてきたのは、中武福男さん(80才)の家。今年の宿主(宿主)は隣接する中武義和さん(64才)の家。近年はこの二軒が交代で祭りを続けてきた。福男さんは中之又神楽の長老で、義和さんもベテランの舞人(まいびと)である。
義和さんの家に、次々と人が集まってきた。いずれも神楽の伝承者で、狩りの達人でもある人たちだ。奥の間に並べられた御幣(前々稿で紹介した人形御幣(ひとがたごへい)を中之又神社の宮司・中武春男さんが清め、御神酒を頂いた後、御幣を盆に乗せ、手分けして捧げ持ち、鹿倉神社へと向かう。家の裏手から山道に入ると、道の脇に「庚申」「村荒神」「龍神」「甲崎(こうざき)」「宿神」などの塚がある。一抱えほどの石を置いただけの塚は、それが山の神信仰と混交した土地神を祀る塚であることを示している。神々の前に、御幣が立てられ、祈りが捧げられる。
ほどなく、屋敷原鹿倉神社に着く。神社の周辺にも、「山宮様」「杉の大神」「中宮様(祠)」「山の神」「甲崎」などの塚がある。それぞれの塚に御幣が立てられた後、神社の中の祠から神鏡、矛、鹿の角などが取り出され、それらを包んでいた古い御幣と新しい御幣が取り替えられる。続いて招神の舞「奉賛舞」、鹿倉神降臨の舞「鹿倉舞」、神の降臨を喜び、感謝し、神を送る「舞上」の神楽三番が舞われるのである。
古来、鹿は、食物として狩られ、食べられ続けてきた。追われる鹿は、「逃げる」ことしか防御の手段を持たない。逃げる鹿は、風のように山を越え、時に立ち止まり、澄んだ瞳で山の彼方を見つめる。狩りの獲物としての鹿は、一方で、神の使いとして信仰され、洞窟の壁画や種々の器物の装飾、絵画の題材などとして描かれ続けてきた。美しく、優しい姿と、生命の糧となる美味なる肉が、愛され、親しまれ、信仰されたのである。中之又の鹿倉様は、大いなる米良山脈を支配する山の神と同体の神として信仰され、祭りの場に降臨し、優雅な舞を舞う。
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