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<1>
謎の草装神「ハレハレ」



この蔓草を身体中に纏わりつけた「鬼」が町なかを練り歩く祭りがあることを知ったのは、宮崎へ引っ越してきて1年目頃のことだったから、12、3年ほど前のことだ。その時は、NHKの地域版ニュースのアマチュアカメラマンの投稿による映像で、流れたのはほんの一瞬の間だったから、それがどこの祭りか、どのような名を持ち、いかなる性格の神なのかを確認する方法がなかった。南島に分布する「草壮神」の系譜に繋がる来訪神だろうと見当はついたが、九州本土にそのような祭りがあるということは聞いたこともなかった。宮崎とは不思議な土地だなあ、どんな祭りでも残っているのだなあ、とその時、つよく思ったのである。その後、その神様は「ハレハレ」と呼ばれ、生目古墳群の近くの糸原という地区の倉岡神社に伝わっている、ということまでは分かったが、祭りは隔年の開催だということで、何度も見逃した。そして、ようやく今年、念願が叶ったのである。




9月の第二日曜日(15日直前の日曜日)の午前10時頃、倉岡神社から祭りの行列が出発する。倉岡神社は、大淀川の北岸に位置する市街地である。対岸に生目古墳群のある丘陵地を望む。




馬に乗った神官、神輿などの行列の前方を「白鬼」「赤鬼」の二体の「ハレハレ」が先導する。ハレハレとは、「祓え、祓え」が語源らしい。宮古島の「パーントゥ」は身体中に蔓草を纏った仮面神が、沼の泥を全身に浴びて出現する精霊神である。諸塚村・戸下神楽には、「山守」という神事があり、山中で蔓草を身につけた「山人(やまど)」が、山を駆け下り、神楽の場に降臨する。諸塚の山人は山の神である。「ハレハレ」は泥を塗りつけてはおらず、山中から出現するわけではないが、やはり先導神であり森の精霊神のようである。「お旅所」で獅子舞と巫女舞が奉納され、さらに行列は町なかを練り歩く。



これが「ハレハレ」の全体像。蔓草を全身にまき付け、腰には竹製の魚篭をぶら下げ、大きな孟宗竹を引きずっている。この孟宗竹を引きずりながら走るので、ガラガラと盛大な音がする。孟宗竹の先端部には穴が空いており、近隣住民が集まってきて、お賽銭を入れる。魚篭にもお賽銭が入る。



アップだと迫力満点。



倉岡神社のある糸原地区は宮崎県内のほぼ中心部に位置するが、かつては島津氏の知行地だったという。倉岡神社の神紋も「丸に十字」の島津家の紋所である。南島との関連がこの辺りからうかがえるが、この祭りは長く途絶えていたものを、近年、復元したものだという。祭りの関係者に聞いても、近隣の住民に聞いても、そのいわれを知っている人はいなかった。「神楽」が奉納されたものかどうかもわからない。幾つかの「謎」を秘めながら、ハレハレが行く。


<2>
謎の先導神「イブクロ」とは


新富町・新田神社夏祭りを先導するという謎の神「イブクロ」を見に行った。
数年前からの課題としていたものだが、今夏、やっと実現したのである。

夏祭りは、暑気を払い、悪疫の退散を祈願する「夏越しの祭り」「祇園祭り」等を原型とするが、
近年は町の活性化を目指した「イベント」として盛大に行なわれる例も多く、年々華やかさや勇壮さを競う傾向にあり、さらに、北海道で「よさこい」の祭りがあり、九州で津軽の「ねぶた」を擬したものが出、沖縄の「エイサー」が全国津々浦々で展開されるなど、様相を変えてきている。そんな中で、古式にもとづき、地元の皆さんだけで静かに開催される祭りに出会うと、なぜかほっとするような気持ちになり、「祭り」の本源はやはりこちらにあるのだと思う。ただ、「秘儀」「祭儀」として「村」「集落」「神社」などでひそやかに行なわれてきた「祭り」や「神楽」が、近年、次第に活気を失い消滅の危機に瀕しているのも事実であり、時代の変遷と祭りのあり方というものを本気で
検討する「とき」がきているのだとも思う。

新田神社は新田原(にゅうたばる)古墳群のある丘陵の麓に位置し、東方に日向灘を望む田園地帯である。春先に開催される「新田神楽」では、早朝、この日向灘の浜に
出て禊をし、その後、神楽が始まる。


・神社での神事の後、神輿の行列が出発する。行列を先導するのは、赤・白一対
の仮面神「イブクロ」である。


・イブクロは、先端に切り込みを入れた竹の棒をガラガラと引きずりながら歩く。そしてその棒で、参拝者や子どもたちの頭や腰などを軽く叩いたり、なでたりする。時には「まえは達者か?」とイブクロが老人の股間をつつき「まだ機能しておるわい」という村の翁の答え
などがあって爆笑を誘う。疫病祓い・子孫繁栄の儀礼である。


・これが「イブクロ」。赤が男神、白が女神という。イブクロという珍しい名称の由緒を知る人も少なくなっていたが、昔はイブクロはそれぞれ大きな袋(または籠)を持って商店などの門口に立ち、激しく竹の棒で地面を叩いた。するとその家のものは、米や餅、野菜などを供物として籠に入れたものである。それでその袋を何でも飲み込む胃袋と称したという伝承、また、その持ち歩いた袋のことを古くは「弓袋」と呼び、それがなまってイブクロとなったという説、また、この新田地区は「にゅうた」と呼ばれ神社も新田原古墳群に隣接することから、古代の「丹(に)」の生産があったのではないか、という推理などもあって面白い。ちなみにこの「ニブクロ説」を披露して下さった地元の郷土史家は、この近くには「丹(たん)」さんという姓の人が現存する。古代の「丹(に)」とは、「赤=朱色」を発色する顔料として珍重された。これにちなむ「丹生(にゅう=にう)」という地名は全国に分布する。イブクロとは「丹袋(にぶくろ)」ではないか、というのである。古代の「赤=朱」
を入れた袋は、悪霊を封じ、幸を招く袋であった。


・イブクロは人気者。


・現代の神輿は軽トラックで移動する。


・近くの神社に着いたイブクロ。


・祭りの一行は、一日目は上新田地区に分布する神社を廻り(お下り)、お旅所に着いて一泊。
二日目、下新田地区を巡って神社へ帰る(お上り)。祭り太鼓の音が
色づき始めた稲田に響いている。

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(SINCE.1999.5.20)