【高千穂の仮面神】
トトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトチチチチチチチチチチチチチチチチチチ<14>
トトトトトトトトトトトトトトトトトト シシシシシ手力雄命日月の舞
華々しく岩戸を開け、その戸を取って投げた「戸取り」が、盛大な拍手を浴びながら退場すると、再び手力雄命が登場する。いよいよ天照大神が出現して、この世に光が回復されるのである。
神庭を舞い進みながら、手力雄命は、祭壇中央の天照大神が納められた厨子(小祠)の前に出る。その時、神主が厳かに厨子の扉を開き、「日月」の神鏡を取り出して手力雄命に渡す。この神鏡とは、「日」が天照大神を表わし、「月」が月読命を表わすという。高千穂神楽では、「天照大神の神面」はなく、この日月の神鏡が天照大神の出現を表わす例が多い。
神庭には奉仕者(ホシャどん)全員が並び、御幣を持って、高らかに賀歌を合唱する。
―天の戸を 押し分け出づるヤア 天の戸を
―月と日を 双手に持ちてヤア 舞いあそぶ 月こそまされヤア 宵も照らしゃる
歌に合わせ、手力雄命が、両手に持った日月の鏡をかざしながら舞う。手力雄命の舞にあわせて神楽歌が響く。
―日向なる逢染川の畔にこそ 幾世結びの神ぞまします
―今日の氏の御祈祷さを鹿の 黄金の箱に納めまします
―君が代の久しかるべく祈りして 今は日月納めまします
高千穂神楽では、舞いとともに美しい調べの「神楽歌」が合唱される。その調べは、風に乗り、集落へ流れ、山から空へと響いてゆく。舞が続き合唱が響く神庭正面では神主の祝詞奏上がある。このころ、夜は明け染め、朝日が高千穂の里を明るく照らし始める。
手力雄命の舞が終わると、舞人(奉仕者どん)も氏子も拝観者も、神主に合わせ、天照大神に拝礼をする。そして神主が日月の神鏡を厨子に納めて、岩戸番付の最後を飾る「舞い開き」が終わるのである。
トトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトト
チチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチ<13>
トトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトト岩戸を投げる「戸取」
東の空に薄い紅色が滲んだ。夜明けが近い。夜を徹して舞い継がれてきた神楽も終盤のクライマックスを迎えた。
前号で、天鈿女命の舞が古代の呪法であり、神楽「岩戸開き」も太陽神の復活を祈願する祭祀で、アジアに分布する儀礼であることを記したが、岩戸を素手で開き、太陽神である天照大神を導き出す大力の神・手力雄命は、雄渾な男性シャーマンであり、わが日本神話独自の造型である。
笑窪や笑い、性的な所作、優美な舞などを駆使する女性シャーマン天鈿女命と、大ぶりの荒々しい鬼神面を着け、裁着袴をはき、腰に赤い襷を挟んで現れる手力雄命。このあざやかな陰陽一対の神によって「岩戸」が開かれるのである。
天鈿女命の舞が終わると「戸取り」の始まりである。この岩戸を取って投げる神を「戸取り明神」ともいうが、これは手力雄命の別名である。戸取り明神は、
―ああら来たり大神殿、何とて出でさせ給わぬ。出でさせ給わぬものならば、われ八百万神の力を出し、一方の戸を取りて投げ捨つれば、伊勢の国は山田ヶ原に着きにけり。また一方の戸を取りて投げ捨つれば、日向国の小戸の阿波岐原にぞ着きにけり。その時さやかに拝まれ給うものなりやあ。
と唱教を歌いながら、舞う。そして、岩戸の前に立って、長い黒髪をしごいたり、その髪を両手で持って広げたりする派手なパフォーマンスを繰り広げた後、見事、岩戸を取って投げる。この時投げられた岩戸の行き先を「日向の国阿波岐原(檍ケ原)」「伊勢の国山田ヶ原」「信濃の国戸隠嶽」とする三通りの説があり、微笑ましいが、宮崎市阿波岐原町・檍地区などが現存する「檍ケ原説」に古形をみるのは、地元贔屓にすぎるであろうか。
トトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトト トトトトトトトトトト
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鈿女と女面の源流
真っ赤な布で頭部を覆い、白い美しい仮面を着けた「鈿女(天鈿女命)」が登場すると、神楽の場は、一気に華やぐ。鈿女は、まず右手に鈴、左手に「三段切り」と呼ばれる赤・白の御幣を持って、神庭の中をゆっくりと廻る。
高千穂神楽「岩戸開き」における「鈿女」の舞は、素戔鳴命の暴虐に耐えかねて天岩戸に隠れた天照大神を再びこの世に招き出す舞である。この時、天鈿女命は、天安河原に集まった八百万の神々の前で、ひかげのかずらを襷に掛け、真坂樹を鬘にかぶり、手に持った笹を振りながら、桶を踏み鳴らし、半裸となり、神懸りして舞う。その姿が神々の笑いを誘い、天照大神の出現を促すのである。
古代中国の歴史書には、日食の折、「社を設え、楽器を鳴らして太陽の復活を願う祭りを行った」ことが記される。たとえば「春秋左氏伝」には三十数回記録され、現代の天文学のデータで計算すると、「日食」の日時とぴたりと一致するという。「岩戸神話」は、アジアに分布する日食儀礼と冬至の祭祀、鎮魂の祭り、農耕儀礼などが混交しながら伝えられたものと思われる。
天鈿女命とは、古代の女性シャーマンであり、演劇の祖神である。古くは、天鈿女命自身やその系譜をひく「猿女君」などの巫女が、これらの儀礼を行い、舞を舞ったが、やがて、男性シャーマンの職掌となり、女面を着けて舞うようになった。劇的な祭祀形態の転換があったのである。
高千穂神楽「鈿女」は、後半で、右手の鈴を日の丸の扇に持ち替え、赤と白の御幣を大きく振りながら舞う。その舞は、仮面舞でありながら、次第に神懸りの表情を浮かべる。鈿女の舞は、女面の源流にかかわる大きな謎を秘めながら、次第に早調子の舞となり、舞い納める。
シシ
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天地を祓う神事舞
高千穂神楽の神庭(御神屋)正面に設えられた祭壇には、種々の供物と、その夜の神楽に使用される神楽面(神面)が置かれている。高千穂では、神楽面のことを「おもてさま」と呼び、神格が宿るものとして信仰される。
2006年の河内神楽では、「隠居面」と呼ばれる今では使われなくなった神面が最上段に置かれていた。その面を復刻した新しい面は手力雄命の舞に登場したから、隠居面は古い手力雄命面と思われた。高千穂の神楽面は、古くなったものを復刻・新調するときには、新しい面を必ず神主が祓って「御神入れ」をした後に用いるという。古面は、静かに隠退し、神社や個人の家に伝えられ続けるのである。
さて、「柴引き」が退場し、祭壇の神面が生々と輝き始める時刻となった。いよいよ「手力雄命」の舞の始まりである。白い大ぶりの面を着け、白衣に金襴の千早を羽織った手力雄命が右手に鈴、左手に御幣を持って登場すると、神庭を重厚な緊迫感が支配する。手力雄命が持つ御幣は、「岩戸幣」と呼ばれ、赤・白の幣の上部に冠が付いている。この冠は天と水、地と土を表わすという。手力雄命は天地・山水の呪力を秘めた御幣を持ち、天照大神が隠れた天岩戸の在り処を探しながら舞うのである。
古来、神楽「岩戸開き」は、「秋の収穫感謝祭」「冬至の儀礼を基とする日乞いの祭り」「日食の折の太陽神復活の祭祀」「天皇霊復活を祈願する鎮魂の祭り」などさまざまに解釈されてきた。
高千穂神楽の手力雄命の舞は、次に続く天鈿女命の舞と対をなす、鎮魂と復活の儀礼を基調とした「天地を祓う神事舞」と解釈される。
手力雄命の面は、神霊を宿し、神気を放ちながら舞い続けるのである。
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神庭を作る神「柴引」
高千穂神楽は、「七貴神」「八鉢やつばち)」「御神体」などの仮面舞が舞い終えられると、つかの間、神楽宿に静けさが訪れる。その後、海神・大綿津見神と住吉三神の舞「住吉」があり、続いて清澄かつ重厚な「伊勢」が舞われると、厳粛な気配が場に満ちる。「伊勢」は天児屋根命が神庭を清め「岩戸開き」の始まりを告げる舞である。
やがて、裁着袴に赤の肩襷を掛け、大ぶりの鬼神面を着けた「柴引き=天太玉命」が登場する。天児屋根命は中臣氏の祖神、天太玉命は忌部氏の祖神であり、ともに上代朝廷の祭儀にかかわった神(氏族)である。
「柴引き」は、天照大神が岩戸に隠れ、この世が闇に閉ざされた時、天太玉命が天香具山の榊を引き抜いて来て神庭造りをしたという故事にもとづく神楽であるが、各地の神楽では、荒神信仰・山の神信仰と混交している。米良山系の神楽「柴荒神」は、自分の支配する「山」から無断で榊を引き抜いて来て祭りを行っていることに怒り、神主と問答をして、「柴の本義」などを説く。高千穂神楽でも、「柴引き」が赤の襷を肩から斜めに流し掛け、
「この山はせいある山か 山守りて 山守りするに われ山に住む」と神楽歌が歌われることから、山の神を表わすとされる。
高千穂・椎葉・米良などの九州山地では、榊や椎などの常緑樹を「柴」と呼び、神霊の宿る神聖な樹木とする。柴・榊の茂る照葉樹の森は、山神・荒神の支配する命の森なのである。
「柴引き」は山から柴を引く様子を演じたり、観客と柴を引き合ったりして、盛大なパフォーマンスを繰り広げた後、退場する。神霊の宿る「柴」によって、「岩戸開き」の祭場は設営された。
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xx ssssssssssssssssssss酒を醸し抱擁する神
夜は更けた。神楽宿の中は、焼酎の匂いが充満した。高千穂神楽では、「カッポ酒」が拝観者に振る舞われる。この風雅な酒は、青竹の筒の中に焼酎を注ぎ込み、焚き火で燗をしたものである。焼酎の味に竹の香りとほのかな甘味が混合して、得もいわれぬ旨味を加えるのである。
酒は、氏子や舞人などにも配られる。神楽の進行につれ、酩酊の度は深まり、神と人との距離が近くなる。このころ神楽の名物番付「御神体」が始まるのである。この舞は、伊邪那岐命・伊邪那美命の国産みの場面を表わすとされるが、じつは「酒濾しの舞」ともいわれ、新穀を醸して酒を造り、神に捧げる古式の神事の名残である。
裁着袴に赤い鬼神面を着けた男神が、御幣を掲げた神主に招き出され、棒に差した藁苞を担いで、右手に持った扇でその棒を叩きながら神庭を一周、続いてお多福顔の女面の神が桶と笊を担いで現れると、神楽の場はどっと沸く。
二神は神庭中央で濁り酒を濾し始めるが、浮気な男神が客席の若い女性に言い寄り、女神も負けじと男性客に抱き着いたりして、大騒ぎとなる。やがて男神は女神に連れ戻されて酒濾しが再開されるが、互いに出来た酒を汲み合って、酔ったあげく、激しく抱擁し、ついに一体となるのである。
客席の興奮も、最高潮に達する、深夜二時。昔はこの時刻になると、手に手を取って闇にまぎれる恋人同士があったらしい。許されぬ恋もこの夜にかぎり成就したという。 神と人と神楽の場が渾然一体となるひととき。「御神体=酒濾しの舞」は、酒造りと生殖の場面を模擬的に演じることにより、神霊にはたらきかけ、子孫繁栄・五穀豊穣を祈願する古代の呪法であった。
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小さな愛嬌者・八鉢
その神は、芋茎で出来た船に乗ってやってきたという。蛾の皮またはミソサザイの羽で出来たお洒落な服を着たこの神は、生まれた時、父神の神産霊神の指の間からこぼれ落ちたほど、小さな神であったという。
その可愛らしい神・少彦名命は、海の彼方から出雲の国にやって来て大国主命と出会った時、大国主命が掌の上で玩ぶと、跳んでその頬を噛んだという悪戯者である。その後、大国主命と力を合わせ、国作りをする。その活躍によって薬学の神・穀霊神・酒造りの神・芸能神など多くの神格を獲得して人気者となった。
高千穂神楽「八鉢」は、この少彦名命伝承に基づく演目である。口をへの字に結んだいかめしい表情の仮面を着け、赤い布で頬被りをした八鉢は、腕組をした気難しい表情で現れるが、神庭の中に寝そべったり、でんぐり返りをしたりして愛嬌をふりまく。そして、太鼓の上に逆立ちをしたり、足の指に挟んだ御幣を振って舞う所作をしたりして神楽宿の中を大いに賑わせる。
昨年の秋元神楽では、妙齢の婦人が、誤って拝観者の荷物(カメラバッグ)を跨いで客席を横切ったことに怒った荷物の主が、失礼を詫びる女性に、大事な道具を跨いで通るとはなにごとか、と絡んだ。神楽の場は白けたが、その数番後、「八鉢」が客席に踊り込み、その荷物を、くるんでいた毛布と一緒に放り投げた。観客の拍手は一層盛大なものとなった。後で聞くと、八鉢役の舞人は、客同士のいざこざは知らなかったというから、この時の八鉢の行為は、「神意」というべきであろう。
たちまちその女性は八鉢=少彦名命に恋をしたが、粟殻に弾かれて常世の国へと去ってしまったというその神は、もうその場にはいなかった。
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sssssssssssssssssssssa「神」に変身する瞬間
sdw s sssssssssssss
神々が降臨し、一晩中神楽が舞われる神楽宿の屋根または外壁には、大音量のスピーカーが取り付けられていて、神楽の進行とともに唱えられる神楽歌(唱教)や太鼓のとどろき、笛の旋律などが放送される仕組みになっている。神楽の音楽は、集落全体に流れ、四囲の山々に反響して、隠れ里の面影を残す山の村や、舞人、訪れる客などを次第に巻き込んで、大掛かりなトランス状態を演出するのである。
神楽が中盤を過ぎる頃―眠気と焼酎の匂い、中庭から屋内へと流れ込んでくる焚き火の煙、繰り返される神楽のリズムなどが相俟って、観客は陶然と酔い、夢と現の境を逍遥する。この時、荒々しい表情や滑稽な仕草、性的な演技などを演じる仮面神が登場すると、人々は、そこに神の降臨を見るのである。仮面は、まさに人が神に変身する装置なのである。
高千穂神楽の「七貴神」は、大国主命とその六人の御子神が国づくりをする様子とも、大国主命が御子神に舞を教える場面ともいう。私も数年前、突然の指名によって御子神の一神を演じた経験があるが、たしかに、派手な金襴の千早を着て、榊をくわえさせられ、うやうやしく拝礼をして神前から運ばれた仮面を着けると、そこには自分とは別の何者かがいた。それこそが神が降臨した瞬間だったのかもしれない。見様見真似で、多少の余興も交えて舞い終え、仮面を外すと、ほっと全身の力が抜けた。私は無事、現実の世界に戻ったのである。
二度目の機会が訪れた時には、スケッチブックを広げて一心に筆を走らせていた。すでに神楽の向こうの世界を見ていたような心理だった私は、そこへ入って行くと二度と帰って来れなくなるような気がして、少し恐くなり、出演を辞退した。
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そこは五穀の稔る土地だった
美しい女面の神が五穀の束を手にして現れる。続いて大ぶりの鬼神面を着けた稗の神・粟の神・豆の神・麦の神が登場する。
高千穂神楽「五穀」は、穀霊神・食物神である倉稲魂命、太田命、大宮売命、保食神、大巳貴命の五神が、米・稗・粟・豆・麦を手に
―天よりも 五穀たばねてわれ来たよ 五穀の主とはわれをこそいう
と神楽歌(唱教)を歌いながら舞う。この五神は、記紀神話に登場する神々である。高千穂の神話伝承は、降臨した邇邇芸命が、暗闇であったこの地に稲種を撒いたことにより、天地が開け、稲が稔る土地になったと伝える。五穀の神は、始めに五穀を手に採って舞い、次に盆に乗せて舞い、さらにそれを地(神庭)に撒いて、舞い収める。散らばった五穀の種子を、氏子や参拝者は拾って持ち帰る。これを田畑に播くと、豊作が約束されるという。
神楽「五穀」は、渡来の稲作文化と雑穀栽培を主とする古来の山村文化との融合を物語る番付である。南国九州にありながら、冬は寒冷地の気候を示す高千穂地方は、近代に至るまで稗・粟・黍・麦・芋などの雑穀を主要食物としてきた山岳地帯である。
春は早苗の若緑が田に映え、夏にはその稲の葉が風にそよぎ、秋は黄金色の稲穂が棚田を装飾する。冬は取り入れの終わった田に神楽の囃子が響く。懐かしい日本の原風景が残る現代の高千穂の稲作風景と古代の農業とには違いがあり、神話・伝承と考古資料の間にも微妙なズレがあって、いまだに多くの謎を残す。高千穂の謎は、古代史の謎でもあるが、神楽「五穀」はその謎を解く重要な鍵の一つであろう。
五穀の神の現れる所―そこは、豊かな山と森に抱かれた神秘の里である。
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山の神が舞う「山森」
神楽宿の前庭に設えられた外注連の前に、猪がどさりと置かれた。獲れたばかりの獲物が、「贄」として神前に供えられるのである。その猪が神庭の正面に運び込まれ、四人の舞人(ホシャどん)が舞い出て、猟銃・刀・弓・笹を採り物に舞う。勇壮な「山森」の舞の開始である。
四人の舞人とは、青龍・白龍・赤龍・黒龍の四荒神で、高千穂の水源神・龍王である。四体の龍王が舞い収めると、二頭の猪が舞い出て、拝観者に愛嬌を振りまいたり、暴れたりする。そこへ、白い強烈な表情の仮面を着けた黄龍王が登場する。この黄龍王とは、山の神・大山祇命である。山の神と猪は、激しく争う様子を演じた後、猪が神庭の外へと追い出される。猪は、集落の家々を訪問し、酒や蜜柑、餅、お賽銭などを戴き、翌朝になって神楽宿に帰ってくるのだという。
この一連の舞は、五龍王が鹿の皮を取ってきて太鼓を作る様子を表すともいう。椎葉神楽では「山森」を山の神の鹿狩りの舞といい、村の猟師が豊猟を祈願する。「山森」とは、山の神への素朴な信仰と、山の生き物と里人との交流を物語る神楽である。冒頭の場面は2008年上田原神楽。白い仮面の山の神は秋元神楽。
「山森」という番付は、高千穂神楽に共通する演目で、用いられる仮面、猪の奉納、採り物などには少しずつ違いがあるが、神楽中盤の重要な演目であることに変りはない。
古来、山地で生活する人々にとって、猪や鹿などの大型獣は山林や田畑を荒らす害獣であったが、その美味なる肉は冬季の食糧・蛋白源として不可欠のものでもあった。狩の獲物は、大いなる自然神である山の神からの賜り物であった。人々は感謝と信仰の心意を神楽「山森」として表現し、美しい舞を舞うのである。
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台所へと舞い入る神
神楽宿の外庭に焚かれていた焚き火の炎が、大きく燃え上がった。火の粉が天空を彩る星座に向かって、勢い良く立ち昇った。
神楽は、すでに中盤を迎えている。土地を堅固にし、国造りをする様を表わす「地固」、幣をかざし神々を勧請する「幣神添」、太刀によって国土を平定する物語「太刀神添」、弓の霊力により魔を祓う「弓正護」、海神の舞「沖逢、四人の舞人が剣の刃先を手に持ち合い、潜り抜ける曲芸的な舞「岩潜」などが舞い継がれているのである。
このころ、神楽宿の台所に四人の舞人と神面をつけた「荒神」が舞い入り、諸難滅除の祓いをした後、家族と酒食をともにする。高千穂神楽におけるこの場面は、当日神楽宿を受け持つ家のための「竈祭り」である。竈の前で、神官が家運長久の祓いと祝詞をあげる。この神事が終わると、台所から神庭まで、再び舞い込み、荒神が荒々しく舞う。
この番付は、「地割荒神」とも呼ばれるように、地主神である荒神が、土地(耕作地)の割り付けをする神楽であるが、修験道や密教の三宝荒神の信仰と習合し、「火の神」としての祭祀性をつよめながら伝わっている。
浅ケ部神楽の地割荒神は、白い大ぶりの古面である。金髪と見紛う麻の毛頭をつけ、口を大きく開き、金色の眼を輝かせ、額と頬に大きく皺を刻んだ憤怒の表情で、右手に扇、左手に杖(荒神杖)を持って舞う。四人の舞人が、それに続いて舞い進む。
やがて、籾俵に座り、神主との問答を終えた荒神は、杖を神主に譲り、退場する。
本来この土地の先住神であり、山の神・火の神などの性格を合わせ持った荒ぶる神・荒神が、神主の祓いと問答によって鎮まり、村に幸を与える守護神となったのである。
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s s諸塚山の精霊神とは
天頂で、天馬ペガサスが大四辺形を描いている。東北の空には、牡牛座がひときわ赤い星アルデバランを輝かせ、スバルが高い位置で冬の到来を知らせている。カシオペアは、すでに子午線に達し、その右角の二等分線が北極星の位置を指し示している。夜毎あざやかさを加える十一月の星座の下に、黒々と横たわるのが、諸塚山の山塊である。
諸塚山の北の山麓に古風な民家が肩を寄せ合う高千穂・秋元集落では、神楽が舞い進められている。神楽宿の中は煌々と電燈の光に照らされ、外庭では盛大に焚き火が焚かれている。五色の幣と切り紙で荘厳された神庭に、「秋元太子大明神」が降臨した。
諸塚山の精霊神・秋元太子大明神は、大型の豪快な作風の面をつけ、面棒を取り、扇をひらりと返しながら、重厚に舞う。神庭に厳粛な気配が満ちる。
秋元太子は、地区の上手にある秋元神社の主祭神で、神社の後方に聳える岩山にある岩窟「太子窟」に篭って修行したという伝承をもつ。諸塚山は、高千穂盆地の西方に位置し、北斗七星信仰の遺構や、修験道の名残り、古代製鉄にまつわる伝承などを残す、神秘の山である。
高千穂神楽では、「舞い入れ」に続く猿田彦の舞「彦舞」で神楽の幕が開き、「神降」「鎮守」「杉登」(神事舞で「式三番」という)が舞い継がれるが、この杉登りの中で土地の氏神(地主神)が降臨する。秋元に隣接する黒仁田神楽では、柘の瀧の守護神「弁財天」、二上神楽では「二上様」、高千穂の中心部浅ケ部神楽では「荒神」(熊野三社権現の主祭神・武御雷命)等である。高千穂神楽は記紀神話・天孫降臨伝承を語り継ぐ神話劇だが、神楽開始直後に登場する仮面神は、その土地に古くから座す地主神なのである。
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ss猿田彦がいた場所
猿田彦は、女に弱い・・・という一条は、いまや定説となった。記紀神話等の古記録に記される猿田彦像を現代風に描写すると、彼は二メートルを越す巨漢であり、鼻の高さは二十センチ、眼は赤カガチ(大蛇またはホオズキの色)のように輝く容貌魁偉な神である。
が、天鈿女命の半裸の姿に幻惑され、異民族をいとも簡単にわれらが日向の高千穂の国へと導くのである。まるで無条件降伏・無血入城に等しい軟弱ぶりではないか。
この図式を、べつの角度から眺めてみよう。猿田彦は、縄文の系譜をひく先住神の代表である。対する邇邇芸命一行とは、中国大陸あるいは朝鮮半島を経由してきた、圧倒的な文化と武力を持つ渡来集団である。激突すれば、たちまち蹂躙され、筑紫の国(古代の九州)さらには日本列島は、異文化によって染めかえられるところであっただろう。
猿田彦とは、平和的な手段で新しい文化を取り込み、民族の融合に成功した、心優しく包容力のある「道ひらきの神」であった。
高千穂町三田井に「荒立神社」がある。天鈿女命と結ばれた猿田彦が、ここで暮らしたのだという。荒立神社には猿田彦と天鈿女命とが一対になった見事な木像(平安時代)が伝わる。荒立神社の後背部に広がる一帯には、猿田彦や青面金剛、道祖神など、猿田彦信仰にちなむ石造や石碑が分布し、信仰の厚さを物語る。
浅ケ部神楽は、この三田井地区の民家(神楽宿)で開催される。祭りの一行を神楽宿へと導く猿田彦は、「天八衢で出会った邇邇芸命一行を高千穂へと案内する猿田彦」という古代史の一場面を「神楽」という演劇として再現し、伝え続けてきたものである。記紀で描写された「猿田彦」は、ここに「仮面」として造型され、定着した。
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ss 仮面史の原郷への旅
山脈のどこかに、青い石を秘す谷があるという。
古代、王の首飾りを造ったというその石が眠る場所は、近づけば、さらにまた遠ざかるという。
空を見上げ、村の背後に聳える山の伝説に思いを馳せていたら、祭りの開始を告げる笛の音が高く響き、太鼓の音が、どどん、と轟いた。その音を運んだ風とともに、一群の少年が山から駆け下って来た。
渓谷沿いの村の入口には、幟幡が立ち、白い御幣が下げられた注連縄が張り巡らされていた。
まるで神の使いのような少年たちに続いて、猿田彦と祭りの一行が現れ、神楽の場へと案内してくれたのは、今から20年も前のことであった。
眼前にくり広げられる神々の物語に私は魅せられ、以来、神楽探訪の旅を続けてきた。それは、日本の仮面史と芸能史・古代史の源流部に深く分け入る旅の始まりであった。
「猿田彦」は、記紀神話の天孫降臨の段で、天八衢に立ち上は高天原下は葦原中津国を照らす「境の神」として記される。顔は赤く、目はらんらんと輝き、鼻の高い異相の神であった。天孫・邇邇芸命一行はその怪異な容貌に恐れをなすが、猿田彦は、天鈿女命の半裸の姿となった呪法に心を開き、一行を日向の高千穂へと案内する。ここに、「日向神話」と呼ばれる南九州での劇的な「国作り」の幕が開く。それは、大和王権樹立前夜の、躍動する英雄たち=神々の物語である。九州脊梁山地の神楽は、この日向神話を骨格とし、渡来神と先住神(土地神)との激突と融合・協調の物語を織り交ぜながら展開される。
高千穂・秋元神楽の猿田彦は、いきなり私をこの古代史のハイライトシーンへと導いた。猿田彦に先導された祭りの一行が神楽宿に舞い入り、夜を徹して舞い続けられる神楽三十三番が始まるのである。
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