【高見乾司の主な活動とその記録】
〈1〉 [古民家再生ARTプロジェクト]
*現在進行中のプロジェクト。100年の児童福祉の歴史を持つ「石井記念友愛社」
の現在は使われていない古い施設を改装し、交流施設を兼ねたアート&
ギャラリーショップとし、周辺の森や竹林とともに造形化します。
<2> 【友愛の森里山再生ARTプロジェクト】
*現在進行中のプロジェクト。戦後手入れがなされず原生林化しつつあった里山の森を ARTの手法で整備し、「薬草・染料・食材」が得られる里山の森として再生します。 「森の空想ブログ/[友愛の森/里山再生ARTプロジェクト]」のシリーズをご参照ください。 現在100回を越えて連載中。
〈3〉 [「森の空想ミュージアム」と「九州民俗仮面美術館」の設立と運営]
*2001年、由布院空想の森美術館を閉館し、私は宮崎の現在地へ移転。 石井記念友愛社の旧施設を改装し、設立・運営、現在に至っています。
*「帰る旅―空想の森へ―」(花乱社/2018)に詳細を記録。
〈4〉 [「由布院空想の森美術館」の再開]
*2018年、17年ぶりに由布院空想の森美術館を再開。解体寸前だった古民家を移転・改装して利用。 この経緯は「由布院空想の森美術館」のホームページ「空想の森から」に記録。
〈5〉 [町はミュージアムである/地域美術展の初発と展開]
*1986年大分県湯布院町に設立した「由布院空想の森美術館」を起点に1987年より 「アートフェスティバルゆふいん」をはじめとする地域美術展を企画・実行。JR由布院駅が美術館 として運営(初代運営会議議長として10年間牽引。その間、今年東京都美術館で展観された 東勝吉翁の作品群を発掘するなどの活動を展開)され、アートの町由布院というイメージが定着しました。 以後、「町=地域」をミュージアムと見立てた美術展は各地へと広がり、「伊豆高原アートフェスティバル」 「越後妻有大地の芸術祭」「瀬戸内国際芸術祭」など全国的な広がりと展開を見せています。
*森の空想ミュージアムのホームページ「由布院空想の森美術館の15年/町づくりと美術館」http://www.kuusounomori.sakura.ne.jp/kuusounomori.html をご参照下さい。
〈6〉 [限界集落美術館]
*2001年、由布院空想の森美術館を閉館した私は宮崎に移転し、「神楽」と「仮面」を研究する施設 「森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館」を設立運営しながら、宮崎県内に分厚い分布を見せる 神楽の里へと通い始めました。そこは仮面史と古代史、芸能史の謎を秘めるデータの宝庫でしたが、 「ムラ」そのものは過疎化し、高齢化して消滅に向かっています。この山深い村々に点在する 古民家・空家を改装し、アート空間へと転換させ、移住者を受け入れる拠点とすることによって 過疎の集落が「限界集落美術館」となるという構想です。 森の空想ミュージアムのホームページ「高千穂・秋元エコミュージアム」の記録 http://www.kuusounomori.sakura.ne.jp/akimoto.html をご参照ください。
〈8〉 その他
◇ 上記<1><2>に連続して閉館になった保育園の旧・園舎を再利用する 「communityspaceかさこそ森/かさこそ森コーヒー店・自然治療研究室、森のマドゥパン」 などが稼働し始めました。続いてかつてベトナム難民が暮らし今は空家になって森に埋もれて 廃屋寸前になっている空家をアーティストイン・レジデンス方式で再生する 「宙<sora>と道レジデンス」が始まっています。 これらのプロジェクトへの不登校児童の参加・受け入れ等の仕事もこの夏から始まります。
現在、新型コロナウィルス蔓延の影響で、社会活動をはじめ、多くの文化活動が自粛・制約を 余儀なくされています。そのような状況下、「こんな時代だからこそアートの歩みを止めてはいけない」 という合言葉のもとに、活動を継続しています。もとより、私と仲間たちの仕事は大規模な集客を目的 とするイベントではなく、日常生活の中に芸術性やオーガニックの思想などをミックスさせ、 インターネットで情報を公開して価値観を共有しながら、小規模の企画を実行、無価値のものを 有価値の資源として転換・活用するという新しい時代を開くためのARTの実践であり、提言でもあるのです。
|