インターネット空想の森美術館
           ☆森の空想ミュージアム/九州民俗仮面美術館☆

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   ☆☆
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   ☆☆
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   ☆☆
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 地域再生と
アートの会い  を巡る旅


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このコーナーの文は、加筆・再構成し
「精霊神の原郷へ」一冊にまとめられました

 黒い女面/
  黒神子


  猿田彦

海神の仮面

 王の仮面

 忍者と仮面

 鬼に会う旅

 荒神問答

米良の宿神

  道化

  翁面


 このコーナーの文は加筆再構成され
「空想の森の旅人」
に収録されています

森の空想
エッセイ


自由旅


漂泊する
仮面

アートスペース繭

「京橋伝説」または「京橋記憶遺産」
ーアートスペース繭のこと-



・「アートスペース繭」前の通り。日本橋方面から来た人がこの角を右に曲がって、
銀座の画廊街へと歩いてゆく。一日中、画廊の中にいて、来客と会い、旧交をあたためたり、
展示された作品について語ったり、神楽の話をしたりするのは楽しいが、画廊を出て、
京橋界隈を少し歩くのもまた魅力的なひとときである。





ビルとビルの間に青空が覗いていたり、「京橋」の地名の由来となった橋の跡(現在はその上を都市高速が走っている)、江戸時代から続く箒屋さんやクラシック音楽を聞かせてくれるカレー屋さんなどがある。



通りを一本隔てて、「銀座湯」という銭湯や、門燈は点灯しているが店が開いていることも
客の姿も見たことのない不思議な骨董屋さんなどもある。




変貌する都市の姿と行き交う人々の姿をそこに見ることができる。

画廊主の梅田美知子さんが「アートスペース繭」をこの地に構えて、17年が経過したという。
その間、私は合計20回ほども企画展を開催させていただき、多くの人々と交流することができたのである。
梅田さんとは、第一回の「伊豆高原アートフェスティバル」で知り合った。谷川晃一・宮迫千鶴(故人)夫妻が、私が湯布院町で行なった「アートフェスティバル湯布院」を引き継ぐかたちで開催し、以後、地域美術展の草分け的存在となった伊豆高原アートフェスティバルに梅田さんも参加していたのである。湯布院から駆けつけた私たち一行の宿泊施設となったペンションに飾られた圧倒的なアフリカの布を通じて、たちまち私たちは仲間となり、以後、25年ちかく交流が続いたのである。その後、私は湯布院を離れることになったが、梅田さんは変わりなく付き合いを続けてくださり、多くの企画を実現させて下さった。私は、「アートスペース繭」と
梅田さんの存在により、湯布院でのアート活動に繋がる仕事を継続することができ、
多くの作家・支援者・友人たちと交流を続けてくることができたのである。
梅田さんは、当初アフリカの布に魅せられ、さらにアジアの布や日本のフォークアートにまで視点を広げ、
現代のクラフト作家・画家の展覧会も積極的に開催し続けてきた。私と同じように、
この場を拠点とし、またこの場から育っていった作家も多い。
かつて私は、銀座の裏通りにあった「現代画廊」に通った。故・洲之内徹氏の人柄に魅了された画家や作家、収集家・美術評論家など集った現代画廊は、日本の戦後美術史の一面を記録する拠点となったが、洲之内氏が亡くなり、現代画廊が消えてからは、「アートスペース繭」こそが、その役割を果たしてきたのだということもできる。「布」や「襤褸」がアートとして取り上げられる時代が到来し、現に開催中の
「東京アートアンティーク」と題された企画は、日本橋・京橋・銀座の画廊・古美術店
・百貨店などが参加したストリートミュージアムである。新しいアートの波のただ中に
アートスペース繭もあり、梅田さんの仕事が時代をひらく仕事の一翼を
担っているといっても過言ではない。こんな話を私がすると、梅田さんは
「そんなだいそれたことは考えてない。わたしは〝京橋の母〟と呼ばれることもあるのよ」
と言って明るく笑う。
そういえば、アートスペース繭を訪ねてくる客には、展覧会を観にくるというよりも、梅田さんに会いにくる、梅田さんの顔を見にくる、という人が含まれている。中には、人生相談や複雑な人間関係、家庭の事情などを打ち明けにくる人もいる。梅田さんの優しく温かな人柄が、そのような画廊の雰囲気を育ててきたのである。しかしながら、梅田さんは硬派の感覚もあわせ持っていて、ご自分の眼に適わない企画は一切引き受けないし、3:11以後の原発問題・環境問題については果敢な発言をし、国会議事堂前のデモにも参加する。
「社会」と「時代」を動かす「ことば」を発し、行動する人なのだ。

こんな梅田さんと「アートスペース繭」を取り巻く環境が激変している。2020年の東京オリンピックを
前にした再開発ブームで、周辺のビルが軒並み取り壊されたり、立ち退きを
迫られたりしていて、「繭」も例外ではないというのだ。
この話に、私の怒りは沸騰する。私が湯布院を離れることになった要因の一つも、谷川さんたちが伊豆高原アートフェスティバルを始めることになった契機にも、「土地」や「開発」などの問題がからんでいた。それから四半世紀を経て、またここにも「土地」と「金」を巡る問題に直面している人がいる。私が中学生だった頃に開催された東京オリンピックは、国家と国土と国民の心意の再生をかけた一大プロジェクトだったが、今回、行なわれようとしている東京オリンピックには、多くの疑義が提出されている。現代におけるスポーツそのものも、友好や友情を育む場というよりも、大国によるメダル獲得狂騒の舞台と化しており、金をかけた国こそ余計にメダルを獲得するというスポーツ本来の目的と美学とは程遠いものになってきている。そのような競争=狂騒を感動して見る人がどれほどいるだろうか。ささやかな市民の生活の場や文化の拠点を奪い、踏み潰し、「再開発」してたった一度だけのイベントにだけ利用するというプロジェクトにはどうしても賛同の気持ちは動かないし、そこに群がる政治家とブローカーの姿が透けてみえるという相変わらずの構図を市民はすでに見破っている。
薬缶の湯気のような怒りを私が発しても、梅田さんは、笑って
「そのときはそのときでなんとかなるわよ」
と笑う。じっさい、ビルの所有者も、開発業者への売却はきっぱりと断ったという話も伝わってきた。この一帯でささやかな「繭」の一角は生き延びたのだ。それは朗報だが、これから近辺で巨大なビルの取り壊しが始まり、もっと大きなビルの建設が始まることは明らかで、いつまでこのままの状態で運営が
続けられるかはわからないともいう。
会期が終われば九州へ帰ってしまう私もなすすべがないから、せめて私は、梅田さんと「アートスペース繭」のこと、そして江戸情緒を残すこの界隈のことを「京橋伝説」あるいは「京橋記憶遺産」と呼ぼうと思う。誰かに呼びかけるのでもなく、どこかに登録するのでも観光客誘致のための旗揚げでもない。私たちの心の中の大切な場所に「記憶」として刻印しておきたいと思うのだ。「その場」がなくなっても、たとえ「主」がいなくなっても、屹立する一本の旗のようになおも存在し続けている「洲之内徹氏と現代画廊」のように。

更紗と型染めの旅









高見乾司展:南の布と薩摩の古陶
【アートスペース繭/東京アートアンティーク協賛企画】



*毎年お世話になっている東京・京橋の「アートスペース繭」での企画展です。今年は、日本橋・京橋の骨董・古美術店、アートギャラリーなど80会場以上が参加した企画で、「骨董」を「アート・アンティーク」と位置づけた展覧会への協賛企画です。私は、かつて大分県湯布院町で「由布院空想の森美術館(1986年-2001年)」を運営しながら1988年から「アートフェスティバルゆふいん」を提唱・実行し、その後、各地での地域美術展の企画・実行に関わりました。それから四半世紀が経過したいま、現代美術や日本の古美術・骨董がリンクしながら、老舗画廊や古美術店などが連携した「ストリートミュージアム」というべき展覧会が実現することになるとは・・・。まさに「時が満ちた」という思いで感慨ひとしおです。展覧会のタイトルが「高見乾司展」となっているDMを手にした時には驚きましたが、「繭」のオーナー梅田さんが、このような私の経歴を加味してつけてくれた
タイトルであると解釈し、当初の予定の「南の布と薩摩の古陶」に加え、今季の「宮崎神楽紀行」の収穫
(11月から3月まで15座の神楽に通い1000点のスケッチを得ました)の一部と書籍類を加えます。
「東京アートアンティーク」の散策をかねて、お立ち寄りください。(高見乾司)

☆☆☆

出展準備風景

現在、「高見乾司展:南の布と薩摩の古陶 [アートスペース繭/東京アートアンティーク協賛企画]」
へ向けて出展準備中です。今から30年も前に出会った布たちを整理しながら、旧友に再会したような
懐かしさがこみ上げてきます。そして、改めて日本人の「手」が生み出した繊細な感覚と美しさに嘆息する
思いです。今日から明後日まで、日田→大分と廻ってきます。どんな荷が補充できるか、楽しみです。




☆☆☆

骨董は釣り<フィッシング>である

二泊三日の旅から帰った。久しぶりに故郷の町を訪ね、旧友たちと再会し、盃を重ねた楽しい一夜が
実現したが、来週から開催される「南の布と薩摩の古陶」をテーマとした企画展に出品する
ための収穫物は、わずか二点。それでも充分な成果だったと思う。

かつて、文芸評論家の小林秀雄は「収集は創作である」と言った。それは小林が骨董に狂った挙句の苦しい弁明であったが、一面、収集の核心を捉えた言葉でもあった。柳宗悦が唱えた「民藝」の理論とその後の民藝運動を例証するまでもなかろう。柳は、それまで古美術の世界では一顧だにされなかった日常の道具に宿る「美」を見いだし、民衆の逞しい想像力が生み出した生活の道具を「用の美」と把握し、新しい「美学」を打ちたてたのである。小林の言が、このことを念頭に発せられたことは明らかである。「骨董買い」という、もの狂おしい行為を「収集」という言葉に置き換え、美学や文芸の境地に高めた当時の文化人たちの葛藤と成果は、利休が打ち立てた「侘び・寂び」の文化にまで遡る事ができる。そしてこの文脈こそ、脈々と流れ続けてきた日本美の底流といっていいだろう。それが「骨董=アートアンティーク」という現代の骨董業界の潮流となって現れたとみることもできる。中国バブルに浮かれる日本の古美術業界の狂騒を横目に、このような現象がひそやかに、
かつ着実に進行しているということに、日本人の「眼の力」の高さを信じていいような気がする。



旅の一日目は、旧知のコレクターの膨大な収集品の中から、「黒薩摩」(龍門寺焼茶壷/
写真上:高さ37センチ)を一点。二日目は、オークションの会場に一日中いて、ただ一点の「白薩摩」
(苗代川焼花瓶/写真下:高さ17センチ)を落札。詳しい説明は省略(会場でお会いしましょう)、
今度の企画に出展するにふさわしい収穫であった。
それにしても、膨大な量の骨董品が、朝から夕方まで、競りにかけられ次々に落札されたり不落札となったりしながら目の前を通り過ぎてゆくオークション風景を見ながら、目的と趣味を異にするとはいえ「これ」といった「もの」が眼につかないのは淋しいことだ。書画・武具・甲冑・仏像・神像・陶磁器・茶道具・進駐軍の兜・ガラスの器・勾玉・古布・古カメラ・古銭(ウイスキーまで出品されていた)等々、ありとあらゆるものが出品され、眼前を通過してゆく。その中には、当節評判のテレビ番組「なんとか鑑定団」でしばしば槍玉にあげられる「きわもの」の類も紛れ込んでいる。その長大な川の流れのような物品の中から、一点の清玩を見いだす行為は、
「釣り」に似ている、と私はこの日思ったのである。渓流の音を聞きながら、山女魚(ヤマメ)を追って
竿を振る行為と、骨董の収集とは、その性格において近似する。



☆☆☆
昨日、「骨董は釣り<フィッシング>である」という記事を書いたので、その続きとして
「骨董は狩り<ハンティング>である」という小文をものにする心づもりで、南の町へ向かった。



昨日までの九州北部の町への三日間の旅で、すでに660キロを走破。今日の走行距離は160キロ。
四日間で九州を半周するほどの距離を走り回っていることになる。そのことは、苦にはならない。
どこかで「骨董=アートアンテイーク」という今回の企画の主旨に適うものに出会い、
それを入手できれば、首尾は上々、となり、旅は思い出深いものとなるのだ。
「南の町」とは、今回の案内文に書いた青空骨董市の開催されていた町のことで、古い運河が残り、神武天皇伝承の付随する神社が鎮座し、煉瓦造りの倉庫が現存する町のことだ。その煉瓦造りの倉庫を改装したお洒落なギャラリーで開催されるという骨董マーケットになにか「出物」があればそれをゲットしよう、という魂胆である。前回の、「南の島の布」との出会いに続く、柳の下の二匹目のドジョウを狙うような心意もはたらいていた。
ところが、今度は、勝手が違った。賑わいを見せる会場を一回りし、当日の来客向けのイベントとして行なわれていたオークションに立ち会ったけれども、一点も目に付くものはなかった。仕入れは見事に空振りであった。それで、帰り際に、苗代川焼の徳利型の「シビン=尿瓶」を買った。

尿瓶といえば思い出すことがある。かつて洲之内徹氏は、芸術新潮に連載された美術随想
「気まぐれ美術館」のシリーズの中で、「佐渡の忘れ物」というタイトルで佐渡島で出会った染付けの
「アサガオ=きんかくし」すなわち男性トイレのおしっこ受け容器のことを書いたことがある。
佐渡に渡り、金山のことや島流しに会った世阿弥のことなどに思いを馳せながら、偶然、利用した旅館のトイレの窓から見える壮絶な佐渡の荒海に感動し、一転して眼は自分のおしっこのほとばしる先の便器の、
鮮麗な染付けの絵柄に引きつけられるのである。これが、「眼の人・洲之内徹」の真骨頂であった。
私が買った苗代川焼の尿瓶は、洲之内氏が佐渡で出会ったきんかくしの鮮麗美とは対極に位置する、
地味で朴訥な造形である。この黒々とした「いれもの」を今度、日本橋・京橋の
老舗古美術商が軒を並べる「東京アートアンティーク」の一隅に置き、左様、
九州から持参した野の花の一茎でも投げ入れてみようと思う。楽しみな趣向ではないか。



*白い大根の花が似合った。淡い紅色がかった花は米良大根(椎葉では焼畑大根という)。

*「骨董は狩り<ハンティング>である」というテーマは先送りとする。

*「アサガオ」と「キンカクシ」は用途も形状も異なるものであるがここでは詳述しない。



南の布と小さな神様・仏様

アートスペース繭
東京都中央区京橋3-7-10
TEL03-3561-8225

会期 2010年10月12日~27日
AM11:00-PM7:00(日曜休廊)




 「仮面神」の起源を訪ね、神楽の伝承地を巡る旅を続けていると、山深い神社の主祭神の脇や寺院の本尊の周囲などを守る小さな神様や仏様に出会うことがあります。それらの小さな神様や仏様は、神仏習合・修験道廃止令・廃仏毀釈・神仏分離令など、各時代の荒波を受けながらも、しぶとく、けなげに生き延びてきた、先住神であり自然神の姿です。いつの時代にかもと居た場所(社寺)を離れて、好事家の間を転々とし、コレクターの手によって守られていた15cm前後の九州の神様・仏様が、今回、東京・京橋の「アートスペース繭」の空間に並ぶこととなりました。さて、どのような風景が出現するか、楽しみです。九州の青空市で見つけた琉球絣が背景を飾ってくれます。(高見)

今年の企画は上記のテーマでやりたいと思います、という高見さんの手紙とともに届いた20数枚の写真。なんと個性豊かな神様や仏様たち!!愛らしく、そして力強い。たかみさんとの10数回の企画展の度にも、九州の地に生まれた民間信仰のかたちの初々しさに感動することしばしばであったが、こうしてズラリと並べてみると、その時代の人々の豊かな創造力とおおらかな信仰心が、突き抜けたような素直な表現を通して、真直ぐにこちらの心にとどいてくる。加えて沖縄の上布の中で私が一番好きな八重山上布なども並ぶという。楽しみ、楽しみ・・・(繭/梅田)


月下の仮面祭
アートスペース繭
2009年10月13日-22日
東京都中央区京橋3-7-10
TEL・03-3561-8225




[月下の仮面祭]
月が出た。
黒々とした山塊の
奥深く抱かれた村の神社では
年に一度の
神楽が開催されていた。
その御神屋が設えられた境内の
斜め上方の黒い山嶺を光らせて
ぽっかりと銀色の月が浮かんだのである。
女が一人
神庭から踊り出て
月に向かって両手を広げ、
その手をひらひらと宙に漂わせながら
神社の裏手へと続く
細道に消えた。
神楽の囃子に浮かれたのか
幻月に誘われたのか
男の呼ぶ声が
遠い
山の闇から聞こえたのかは
定かでない。
――今宵一夜はお許しなされ
人のかかでも娘でも
鹿、猪、狐
鬼、水神、山姥、黒し翁
月の光りに照らされた村に
神楽の音楽が流れ、
過激なセリ歌が歌われ
不思議な面相の
仮面神が次々に登場し
幽玄の舞を舞う。
神楽の笛に
雄鹿が雌鹿を呼ぶ声が混じる。
女が
一夜だけ
行方知れずとなるのは
こんな晩だ。


大型の狐面。ちょっと恐いような兎の仮面。波に浮かぶ月と兎。
石で彫られた猿。修験の行者が背負って歩いたという双頭の女神。
星と月が描かれた白磁の皿。葛や藤、楮などで織られた古い布。
集まってきたものたちは、少年の日に遠い山の村で見た祭り
――月下の仮面祭――に並べられた、呪術者の道具のように
見えました。それらを、書きかけの「仮面詩集」の横に並べたら、
どこからか、神楽囃子に似た音が響いてきました。今回の企画では、
「石井記念友愛社/茶臼原自然芸術館」の仲間たちが取り組んで
いる「自然布」の作品も加えて、毎年お世話になっている「繭」の
スペースを幻想的な空間に変えてみたいと思っています。(高見)

一年ひとめぐり、あっという間に時は過ぎて、また神楽の季節が近づいてきました。
10月恒例の高見さんの展覧会も、10回を超え、またまた面白い荷が集まりました。
詩人でもある高見乾司さんの物を収集する目は「文学的」で、いつもワクワクさせて
くれるものを見つけてくれます。今年もドラマチックな空間で、しばし神代の世界に
遊んでいただければと思います。(アートスペース繭・梅田)



 

早春の便り<九州から>
アートスペース繭

東京都中央区京橋3-7-10
TEL・FAX 03-3561-8225


 数年前の高見八州洋さんの竹の作品展以来、竹の魅力に目覚めてしまった。気をつけて見ていると、先日、更新された近隣の建て仁寺垣の清々しさや知人宅の大きな萱葺き屋根を支える竹の力強い骨組み、昨春、母と訪ねた京都・詩仙堂では木と竹を交互にあしらった濡れ縁に感激した。そして、初春に八州洋さんから届いた目にも鮮やかな青竹の箸・・・。一年で大きく成長し、その強靭さとしなやかさでさまざまなものに利用できる竹。
高い技術を誇る日本の工人たちの手で日本の暮らしに根付いてきた。
 八州洋さんは30年にたって由布院で仕事を続けている。九州男児らしく、寡黙で腰の座った仕事ぶりは、その作品にも生きていて、昨年はインドに招待され、現地の竹工芸作家たちに技術・デザインなどの指導も行った。今年は籠や灯りの他、スプーンやボタン、洗濯挟みなども出品してくださる。繭の展覧会でおなじみの長兄・乾司氏も和更紗や型染め、民俗仮面、古陶などで花を添えてくださるという。宮崎と由布院から届く野の花と共に、一足早い春を感じたいと思います。
(アートスペース繭・梅田美知子)
                            *
 毎年お世話になっているアートスペース繭さんでの企画展です。ここでは、多くの出会いがあり、また古い友人たちとの再会・交流もあって楽しみな場です。今回は、九州の民俗仮面15点を出品します。中世の「道化」など珍しいものも出ます。弟の竹の作品に南九州の古陶などに花を生けてみるという趣向で望む予定です。和更紗と型染めの布は、今から30年ほど前に、九州で集めた古絣や古布を関西の知人やコレクターに届け、その足で奈良・京都の古美術商を廻り、集めたものを含みます。まだ、「古布」という言葉もなかったころ、
本の装丁や額装などに使いたいと思って集めたものです。(高見乾司)






「九州の藍木綿」展
アートスペース繭東京都中央区京橋3-7-10



 今から30年ほども前、湯布院町(現・大分県由布市)の寂れた旧街道沿いの一角に、小さな古道具屋がありました。「古民藝糸車」というその店の店主だった私は、その古びた家の二階の部屋で、絵を描き、詩を作り、本を読む生活を続けながら、病後の身体の回復を待っていました。そして、時折、九州を巡る旅に出て、古い道具類や民俗資料などを買い集めました。美しい、一枚の藍色の木綿に出会ったのは、そのような日々の中でした。農家の庭先で、燃やされそうになっていたその布は、その家のお婆さんが、隣接する畑で栽培した綿から糸を採り、丹念に織り上げたものだったのです。糸車の回転のように、時代がぐるり、と廻る。いま、掌の中の宝石のようにも思えるそれらの布たちが、「繭」の空間でどのように見えるか・・・楽しみな企画です。
(高見乾司)
                            *
 高見さんのライフワークともいえる九州の神楽の研究と民俗仮面の収集、その情熱に引き寄せられるように集まった貴重な文化遺産を、散逸させることなく九州の地に残したいという高見さんの思いが、この春ようやく叶い、90点が「九州国立博物館」に収蔵された。昨年一月、焚き火の前でもなお寒い、諸塚村・戸下神楽を訪れた夜、その第一報がもたらされた。高見さん共々「万歳!!といいつつ、そこには星明かりの下、目の前で舞われている創世の神々の意志が働いているに違いないと確信した夜だった。(アートスペース繭・梅田美知子)
 



九州/時空を越える旅
アートスペース繭/10月6日~15日
AM11:00~PM7:00(日曜廊)
東京都中央区京橋3-7-10
Phon03-3561-8225

宮崎県西都市で森の空想ミュージアムを運営する高見乾司さんと、九州の文化を紹介する企画を始めてからもう6回目の秋になる。その度、九州には不思議な波動が息づいていることを感じる。山深い里々には独特の文化が残っており、奉納の神楽が、今なおその輝きを失うことなく伝承されていて、その数200数十箇所にものぼるという。一昨年の暮れ、高見さんに誘っていただいて、宮崎に中之又神楽、銀鏡(しろみ)神楽を訪ねた。夜を徹して行われるその祭りは、まさに神々の棲む山、神の降臨する祀りということをひしひしと感じさせるに十分で、胸の中に深くきざみつけられる体験だった。高見さんが何十年も九州の文化にこだわり、山々を村々を情熱的に訪ねて回り、調べていられる気持ちの一端が解った気がした。
人々もまた、荒ぶる神、創生の神の末裔を思わせる強いエネルギーを内包する人が多く、
それらが一体となって九州の強い波動となっているのかもしれない。

遠く、室町時代の漆器、神像、木彫狛犬、古伊万里の器などとともに、森の空想ミュージアムに集う現代の女性たちの手で復元された布、かつて神迎えの布として乙女の織った楮布をはじめ、自然布の数々も展示いたします。九州の山を描き続けている高見さんの絵が、背景で静かな山の響きを伝えます。
  (アートスペース繭/梅田美知子)



「九州・神々の祝祭」
―仮面・神像・自然布など―

とき 2006:10/13-10/22

ところ アートスペース繭
 東京都中央区京橋3-7-10
 TEL03-3561-8225



九州の大地に今年もまた、豊饒の秋が来て、刈り取られた稲穂が干され
るころ、神楽の準備に人々の思いも高揚してくることでしょう。10数年前、
高見乾司さんを通して九州の文化・伝統にふれてから強烈な土のにおい
を感じる神楽の文化にすっかり魅了されてしまいました。宮崎県だけでも
300箇所余りに残るという神楽は、遠く神代の創生神話につながり、夜
が明けるまで続く神々の祝祭は見る人を、ひととき時空を超えた旅へと誘
ってくれるに余りあります。今年もまた、魅力ある神像や狛犬に加えて迫
力ある神楽の写真も見ていただく予定です。また、手つむぎの美しい着尺
や葛、楮、ヘラの木などの自然布、その素材なども合わせて展示いたしま
す。お出かけ下さい。(繭・梅田)




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◆リンクについて、非商用目的なものに限り自由です。リンクを張られる際は
takamik@tea.ocn.ne.jpまでご一報ください。編集・高見乾司

(SINCE.1999.5.20)