平佐 高杯(たかつき)
江戸時代
供物を神前に捧げる供物台である。図柄は、宝珠と稲の束と笠。傘の下には田の神が宿るか。収穫を終えた実りの秋を感謝し神への捧げ物を載せた器。新穀で搗いた餅を載せただろうか。
素朴さと、謙虚な信仰のかたちとを併せ持った逸品。
平佐 染付笹文徳利
江戸時代
「伊万里で迷ったら平佐を疑え」と一時期骨董屋の間でささやかれたのは、このタイプが初期伊万里にまぎれて高値で取引されたからである。
源流が肥前有田(古伊万里)であり、天草の陶石を用いた磁器で薩摩藩内でひそかに生まれ、ひっそりと閉窯した窯であったから、好事家の間でも良く知られていなかったのである。
もともとは笹の絵か、あるいはボタンか判然としない。画工の修練の手で、省略が重ねられ、「抽象」の域にまで到達したのである。
李朝と古伊万里、その源流の面影を宿した一品。
平佐 染付木の実文徳利
江戸時代
大ぶりのゆたかな感興を与える徳利である。写実的な絵であるが、モチーフが木の実か花かが判然としない。葉の形や実のつき具合、枝の折れ曲がり具合などが冬の森で青々とした葉の中に真っ赤な実を付けるアオキに似ている。
少し輪郭線がぼやけたのは、焼成時の火加減によるものである。胴の側面に使い込まれたための汚れが少々。これにより、酒徳利であったことが知れる。
平佐 染付源氏車文徳利
江戸時代
染付けの輪郭線が少しぼやけているため、「源氏車」か「矢車」か修験の「大法輪」のいずれであるかが判断しにくい。筆者・高見家の家紋は八矢車で八本の矢が中央に向かって射込まれている図柄、すなわち鯉のぼりの一番上でくるくると回っているあの矢車。それとは違うようだ。その八つ矢車が、修験の大法輪と同じ図形であることに感動したことがある。とりあえずここでは車輪とその周りを取り巻く三重の円形を判断の根拠とし、「源氏車」としておこう。
ふっくらとした胴のふくらみが魅惑的。口辺に小さな修理。
平佐 染付け葡萄文徳利
江戸時代
これは葡萄文である。はるかな西域から伝わった甘美な果物。アラベスクと混交した蔓草文様。
そのデザインの起源の古きこと、遠きこと。悠遠の道のりに思いを馳せよう。使い込まれたためのシミがある。洗ったけれどとれない。ならば、これもまた「けしき」として受容しよう。