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 平佐の郷愁


「平佐(ひらさ)焼」はかつての薩摩国平佐郷(現在の鹿児島県薩摩川内市天辰町)にあった磁器窯である。薩摩藩内では、磁器の原料となる陶石を産出しなかったので、天草から陶石を運び、磁器を焼いた。

この平佐焼の開窯期については、1776年に当地の今井儀右衛門が肥前有田から陶工を招いて開窯、
その後数年で廃絶、それを惜しんだ北郷家の家老伊地知団右衛門が領主の北郷久陣(ほんごうひさつら)に頼み、ふたたび有田から陶工を招いて開窯した、という伝承が実態に近いように思える。
他に安永
78177879)年であるとする考古学者の研究がある。

薩摩川内市には、天孫降臨伝承にちなむニニギノミコトの陵墓と伝えられる可愛山陵(えのさんりょう)があり、この山陵を守護する位置に立つ新田神社には、ニニギノミコトに随従した五神と伝えられる
五色の仮面「五伴緒面(いつとものおのめん)」が伝わっている。

可愛山陵からは、川内川を望むことができる。この川内川は、天孫降臨伝承の分布地の一つである、
はるか東方の霧島山系を源流とする。つまり、川内川は霧島山を水源とし、
えびの盆地を経由し、川内平野を流れ下って東シナ海へと注ぐのである。

可愛山陵よりやや上流の川内川のほとりに天辰町があり、そこに「平佐焼窯元」の跡地がある。二基の窯が当時の面影を残して並んでいる。平佐焼は北郷家の保護のもと、肥前風(古伊万里様式)の染付、赤絵、鼈甲手など、多彩な様式の磁器を生産し、薩摩藩内最大の磁器窯として隆盛したが、明治期の廃藩置県により北郷家の保護を失うと、次第に衰退し、昭和16年に廃窯となった。

薩摩藩内の古陶としては「白薩摩」「黒薩摩」で名高い龍文字焼、苗代川焼などの薩摩藩に
保護された窯があるが、いずれも陶土による陶器であったため、白い肌を持つ有田(古伊万里)
の磁器に対しては強い憧れがあった。江戸中期以降の平佐焼の隆盛はこれを背景とする。

この地方には、中秋名月に重さ5トンにも達する大綱を3000人の男衆が引き合う「十五夜大綱引き」、文禄・慶長の役で朝鮮半島へ出兵したまま帰らぬ夫をしのぶ哀切な踊り「久見崎の想夫恋」などの祭りがある。前述の天孫降臨伝承やこれらの民俗と平佐焼の直接の関連はないが、このような風土の上に形成された焼物という認識も、平佐焼を理解する要素として把握しておいてよい。唐津・伊万里・薩摩藩諸窯、
ともに文禄・慶長の役で朝鮮半島から連れて来られた朝鮮陶工をその始祖とする。

骨董業者の間で、「初期伊万里で迷ったら平佐を疑え」といわれた一時期があるが、平佐焼が李朝の面影を残し、初期伊万里や古伊万里と混同されて流通したことの背景も、この起源と経歴による。白磁でありながら、潤いのある青みがかった肌の色は、源郷の色を宿す郷愁の色であった。
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                      平佐 高杯(たかつき)
                         江戸時代 

供物を神前に捧げる供物台である。図柄は、宝珠と稲の束と笠。傘の下には田の神が宿るか。収穫を終えた実りの秋を感謝し神への捧げ物を載せた器。新穀で搗いた餅を載せただろうか。
素朴さと、謙虚な信仰のかたちとを併せ持った逸品。



                      平佐 染付笹文徳利
                         江戸時代 

「伊万里で迷ったら平佐を疑え」と一時期骨董屋の間でささやかれたのは、このタイプが初期伊万里にまぎれて高値で取引されたからである。
源流が肥前有田(古伊万里)であり、天草の陶石を用いた磁器で薩摩藩内でひそかに生まれ、ひっそりと閉窯した窯であったから、好事家の間でも良く知られていなかったのである。

もともとは笹の絵か、あるいはボタンか判然としない。画工の修練の手で、省略が重ねられ、「抽象」の域にまで到達したのである。
李朝と古伊万里、その源流の面影を宿した一品。





平佐 染付木の実文徳利
江戸時代 

大ぶりのゆたかな感興を与える徳利である。写実的な絵であるが、モチーフが木の実か花かが判然としない。葉の形や実のつき具合、枝の折れ曲がり具合などが冬の森で青々とした葉の中に真っ赤な実を付けるアオキに似ている。
少し輪郭線がぼやけたのは、焼成時の火加減によるものである。胴の側面に使い込まれたための汚れが少々。これにより、酒徳利であったことが知れる。


                 

                     平佐 染付源氏車文徳利
                         江戸時代 

染付けの輪郭線が少しぼやけているため、「源氏車」か「矢車」か修験の「大法輪」のいずれであるかが判断しにくい。筆者・高見家の家紋は八矢車で八本の矢が中央に向かって射込まれている図柄、すなわち鯉のぼりの一番上でくるくると回っているあの矢車。それとは違うようだ。その八つ矢車が、修験の大法輪と同じ図形であることに感動したことがある。とりあえずここでは車輪とその周りを取り巻く三重の円形を判断の根拠とし、「源氏車」としておこう。
ふっくらとした胴のふくらみが魅惑的。口辺に小さな修理。



 

                     平佐 染付け葡萄文徳利
                          江戸時代 

これは葡萄文である。はるかな西域から伝わった甘美な果物。アラベスクと混交した蔓草文様。

そのデザインの起源の古きこと、遠きこと。悠遠の道のりに思いを馳せよう。使い込まれたためのシミがある。洗ったけれどとれない。ならば、これもまた「けしき」として受容しよう。


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