龍門寺 口付き徳利
江戸時代
白の胎土を生かした陶器は、丹波、上野、小鹿田などにもみられ、江戸後期に各地で流行した技法と理解できる。龍門寺でもこの白土による優美な焼物が作られた。この口付き徳利は、酒または醤油の徳利として用いられものだろう。胴の部分が縦長にゆるやかに底部へ向かう造形が秀逸。緑の釉薬の打ちかけが、美しい抽象文様を描く。
龍門寺 口付き徳利
江戸時代
白薩摩の技法が生かされた白の胎土による日常雑器も三彩の技法を応用した緑と茶色の二色の釉薬の打ち掛けによって優美な味わいとなった。口辺はやや広く、首の部分が少しくびれて愛らしい。酒または醤油などを樽から受けて盃へ。あるいは片口の小鉢へ。長い年月使用され続けたことによる古色もよろしい。
龍門寺 徳利
明治時代
これは酒徳利である。柔らかな白土の色を残し、首に飴釉の掛け分けで意匠とし、あとはただ、すっきりと佇む。この焼成による日常雑記は明治期まで盛んに焼かれた。
龍門寺 飴釉徳利
江戸時代
光沢を帯びた飴釉薬の黒褐色が深い味わいを出している。胴の一部に焼成時の焼きむらと釉流れがあるが、それも「けしき」として受容できる。酒徳利として実用されたものだろう。
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