上記は琉球紅型の小裂(琉球王朝時代)。
琉球紅型や鍋島更紗、長崎更紗など、王朝・貴族・大名などに献上されるために製作された更紗は、
収集の対象外だった(稀少かつ高価で、判定も難しい)ので、今回は出品されない。ただし、現代
(昭和~平成頃)の紅型の着物の優品が2点(下記)が出品される。古代から現代にいたるまで、
美しい伝統と技術が継承されていることの驚きと感動。
これもまた「古布」を扱う愉しみのひとつである。
・紅型着物(現代)
・写真左:更紗。「型染め」に移行する過程の作と位置づけたい。
・写真右:型染め。更紗のデザイン感覚を残しながら藍染めと明治以降の型染めの
特徴が現れ始めた一点。
古記録や中世の絵巻などをみると、奈良朝に仏教とともに渡来した「更紗」は、当初、銅版や木版の
技術によって模作が生産されたが、平安朝頃にはすでに「模倣」の域を脱して、和紙型紙による日本
独自の意匠へと変化・展開をしていることがわかる。日本列島を60年にわたって動乱の渦に巻き込
んだ南北朝時代には、各地に文化・芸能・技術が伝わり、神人(じにん)等の下級宗教者、歌舞伎者
や傀儡子舞等の芸能者、王朝の警護に参加した被差別民までが更紗文様の派手な衣装を身に着け
ていることがわかる。室町から戦国期へかけて婆娑羅(バサラ)大名がその派手を好み、「風流
(ふりゅう)」の徒も時代を彩った。さらに、桃山から江戸時代へかけて、茶道の「侘び・寂び」の美意識、
琳派の芸術性、浮世絵版画の隆盛を加え、多様で多彩な変化・変容・普及を遂げたのである。
・写真左は更紗と型染めの中間に位置づけたい作。麻の葉の連続する幾何文様が見事。
右は小紋。武士の裃などに多用され、庶民の間にも広がった。
・写真左:麻布に型染め。麻の葉を大胆に配置し「絞り」のような文様を散らした優品。
・写真右:「絞り」に見えるがこれも型染め。雲と龍が見事に抽象化されている。
・写真左:これも型染め。洗い晒した手織り木綿の暖かな風合い。
・写真右:これは「おむつ」だった。もともとは浴衣だったのだろう。
「抽染」と呼ばれる型染めの技法により量産された。