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更紗と型染めの旅





この企画は「東京アートアンティーク」と題した日本橋・京橋の美術、骨董、工芸などの老舗や新鋭のギャラリー80会場が参加して開催されるアート・アンティークへの参加企画です。






<1>
アジアから日本へ/更紗のはるかな旅

インドをその起源とする「更紗」は、中央アジアへ渡って蔓草を連ねたアラベスク文様を取り込み、多様なデザインを生み出しながら、アジア全域へと伝播した。その「更紗文様」はシルクロードを経由して中国から、あるいは南蛮貿易によってシャム(タイ)やジャワ(インドネシア)等から日本へ渡来した。当初、貴族や武士などの上層階級が珍重する稀少品だったが、室町から戦国時代頃、木版や銅版により輸入染料を用いて模倣品が生産され、
茶人や数寄者の愛玩するものとなって華麗な発展をとげたのである。


 
 


<2>
町衆が育てた美/和更紗の風趣




遥かなシルクロードを経て、あるいは南の海を越えて渡来した「更紗」は、その華麗さと異国情緒で珍重されたが、江戸期に入ると、各地に和紙型紙に顔料を刷り込む技法が普及し、定着した。「和更紗」は粋を好む江戸趣味や町衆の文化が育てた意匠といえよう。





和更紗の普及が進むと、茶道具の他に財布や煙草入れ等の小物類、掛軸の表装、風呂敷や布団地等に用いられ、奢侈が禁止された時代には、更紗木綿を羽織裏や下着として着用し、風流をきわめた。









・写真はいずれも今回出品の江戸後期から明治初期の「型染め」。

<3>
「江戸」から「明治」へ―型染めの展開―

「更紗」も「型染め」であるが、江戸後期から明治へかけて展開された「型染め布」とは一線を画して
評価される。今回の企画を「更紗と型染めの旅」と題したのはこの解釈にもとづく。

渡来以後、平安時代頃まで、主として木版や銅版を用いて製作された「和更紗」は、中世から江戸期へかけて、和紙型紙の技法が発達し、さらには明治期に入ってや西洋の塗料、紡績技術の導入などによって飛躍的な展開をみせる。デザインも大らかで大胆なものとなり、「古渡り」の伝統が伏流水のように流れ続けて、文明開化とともに一気に花開いたものとみることができる。シルクロードを歩き、南方の海を越えて渡来した「更紗→型染め布」が庶民のものとなるためには、およそ1000年にわたる時空の旅が必要だったのである。


なかには手紡ぎ糸・手織りのものもあり、「更紗」から「型染め」へと以降する時期のものと
理解される。これ以降は、紡績糸・科学染料を使用した大量生産の時代に移行してゆくため、
「もの」としての風合いは平均的な味わいとなる。





上記は琉球紅型の小裂(琉球王朝時代)。
琉球紅型や鍋島更紗、長崎更紗など、王朝・貴族・大名などに献上されるために製作された更紗は、
収集の対象外だった(稀少かつ高価で、判定も難しい)ので、今回は出品されない。ただし、現代
(昭和~平成頃)の紅型の着物の優品が2点(下記)が出品される。古代から現代にいたるまで、
美しい伝統と技術が継承されていることの驚きと感動。
これもまた「古布」を扱う愉しみのひとつである。


・紅型着物(現代)


・写真左:更紗。「型染め」に移行する過程の作と位置づけたい。
・写真右:型染め。更紗のデザイン感覚を残しながら藍染めと明治以降の型染めの
特徴が現れ始めた一点。

古記録や中世の絵巻などをみると、奈良朝に仏教とともに渡来した「更紗」は、当初、銅版や木版の
技術によって模作が生産されたが、平安朝頃にはすでに「模倣」の域を脱して、和紙型紙による日本
独自の意匠へと変化・展開をしていることがわかる。日本列島を60年にわたって動乱の渦に巻き込
んだ南北朝時代には、各地に文化・芸能・技術が伝わり、神人(じにん)等の下級宗教者、歌舞伎者
や傀儡子舞等の芸能者、王朝の警護に参加した被差別民までが更紗文様の派手な衣装を身に着け
ていることがわかる。室町から戦国期へかけて婆娑羅(バサラ)大名がその派手を好み、「風流
(ふりゅう)」の徒も時代を彩った。さらに、桃山から江戸時代へかけて、茶道の「侘び・寂び」の美意識、
琳派の芸術性、浮世絵版画の隆盛を加え、多様で多彩な変化・変容・普及を遂げたのである。


・写真左は更紗と型染めの中間に位置づけたい作。麻の葉の連続する幾何文様が見事。
右は小紋。武士の裃などに多用され、庶民の間にも広がった。


・写真左:麻布に型染め。麻の葉を大胆に配置し「絞り」のような文様を散らした優品。
・写真右:「絞り」に見えるがこれも型染め。雲と龍が見事に抽象化されている。


・写真左:これも型染め。洗い晒した手織り木綿の暖かな風合い。
・写真右:これは「おむつ」だった。もともとは浴衣だったのだろう。
「抽染」と呼ばれる型染めの技法により量産された。

<5>
現代に生きる更紗と型染めの伝統






現代(昭和~平成頃)の着物も出品。着物コレクターの収集によるもの。
遥かなアジア・シルクロードを経て伝えられた「更紗」の技法が、
現代の「衣の文化」として受け継がれていることがうれしい。

<6>
「企画をつくる」「展示する」という愉しみ




・来週は出発。会期は4月9日から18日まで。こんな風に仕立てたものを出品。

端切れの一枚一枚を、丹念にパネルやキャンバスに張り、展示用に仕立て上げてゆく。この一群は正面の壁面一杯に飾ろう、とか、この細長い布は窓の外から道行く人が見て通る壁に軸物のように掛けてみよう、などとイメージしながら作業する。一枚のボロ切れにすぎないものが「展示品」として自立してゆく過程が楽しみである。「展示」とは「もの」自体がもつ本来の価値や「ちから」を再評価する仕事であり、
これも「見立て」という表現行為の範疇に入るといえよう。

かつて、評論家の小林秀雄は、「収集も創作である」と嘯いた。骨董に狂った挙句の苦しい弁明であったが、世間から見捨てられた「ものたち」を取り上げ、価値観を逆転させてみせる「わざ」は、「創作」といえないこともない。金ぴかの茶室を作った最高権力者・秀吉に対して利休が提示した「侘び・寂び」の美学は、樵が使う鉈鞘を茶室の花入れとして用いるというまさしく反逆の意思表示であり、生命を賭した美意識の提示であった。近代においては、柳宗悦が提唱した「民藝」と「用の美」が、民衆の生活用具に普遍の美を見いだすという視点の逆転を促し、美術史の流れを変換した。現代においては、30年前には見向きもされなかった「襤褸(らんる)=ボロ」が、古布愛好家や収集家、アートコーディネーターたちの活動によって世界のアートマーケットで
「BORO」という固有名詞を獲得し、高価な「アート」として流通しているという現象がある。
これもまた「収集=創作=表現行為」の結実というべき着地点であろう。






・これも出品。一昨日、往復7時間、走行距離400キロを駆けて仕入れてきた「平佐焼」の逸品(コレクターからの委託出品)。「平佐」は鹿児島県内唯一の磁器窯。磁石の産出がなかった薩摩藩が天草から陶石を取り寄せて「伊万里」に模して製作させた。初期伊万里に似た、あるいはそれをさらに素朴にした郷愁が漂う。写真右上は酒徳利に「更紗」の技法が応用されている。右下の手付き鉢は明治時代の手あぶり火鉢だが、
精巧な「印判」の技法が施されている。これも「型染め」の技術が、明治期に入ってきた
インジゴの釉薬とともに応用されたものである。

湯布院を離れてすでに15年ちかくの時間が過ぎ去ったが、私は不思議にも「由布院空想の森美術館」(1986-2001)時代の夢を見ることが少ない。楽しかったことも、苦しかったことも、あまりに多くの出来事を体験したので、「記憶」として刻印される余裕がなかったのかもしれない。が、唯一、繰り返し見る夢は、スタッフたちと「企画」と「展示」の打ち合わせをしている場面である。ああでもない、こうでもない、と議論し、さて、飾りつけに取りかかろう、というところで目が醒める。そして、ああ、もう、あの刺激的で冒険心と躍動感に満ちていた創造の現場としての空想の森美術館はこの世にもう存在しないのだ、と改めて認識し、現実世界に立ち戻る。そして、自分は、しんから「展示」が好きなんだなあ、と嘆息するのである。

けれども、現在継続している近所の小学生たちと藪を切り開き「里山」を育てる作業も、古い教会を改装してギャラリーとして機能させたり、かつて孤児たちが住んだ寄宿舎を改築・改装しながら「九州民俗仮面美術館」として運営する仕事、さらには神楽を伝える村の古民家を改装してアートギャラリーや宿泊施設などとして再利用する事業なども、一連の「企画」と「展示」に関わる仕事であることは間違いない。今回の「更紗と型染めの旅」という企画展も、「東京アートアンティーク」という日本橋・京橋の老舗古美術店や気鋭の新進ギャラリー
など80会場が参加するストリートミュージアムへの協賛参加である。時代がこのように動いており、
その只中にいるのだとすれば、それは時代の必然ともいうべき流れであり、
私はその幸福な現場に、いま、立っているのかもしれない。




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(SINCE.1999.5.20)