諸塚山脈の尾根を縫って走る「六峰街道」を移動しながら、時々車を停めて林の縁や林道の両脇
などを探してみたが、「茜草」は見当たらなかった。標高1000メートル級の山の峰近くの乾燥した土壌
のところには茜草の分布はみられない。
場所を変えて、山の中腹まで下り、ヤマメ釣りに入る渓流沿いの道に出ると、道端のそこここに
細い茎をすっと伸ばし、茎の途中に細長いハート型の葉を四方に伸ばし、
先端に白い小さな蕾を付けた独特の姿がみられた。
これでよし。採集場所はここにしよう。
下見に2時間を要したため、楽しみにしていたヤマメ釣りの時間がなくなった。
それほど諸塚の山は大きく、深い。
夕焼け空の色を表す「茜色」のことは誰でも知っているが、その茜色はどうやって染めるのか、
「アカネ」という植物がどのような草でどこに生えているか、それをどのように採集して茜色を染めるのか、などということを知る人は少ない。しかしながら、日本人は万葉の時代からこの色を愛好し、多用し、歌に詠み、親しんできた。その「知」と「技」の部分を切り捨て、忘れ去ってきたのが、明治以降の百年、厳密にいえば戦後の半世紀という時代であろう。森へ行き、植物を採集し、その植物のことをよく知り、「色をいただく」という作業は、この半世紀たらずの間に失った大切なものを見つめなおし、取り戻す仕事のひとつかもしれない。
・これが茜草
沈み橋のある沢を渡り、林道の途中まで車を乗り入れて採集にかかる。
林の縁と林道との境の草地。ゆるやかな山の斜面。猪が餌を漁った跡のある所。そんな場所を茜草は好んで生えるのか。あるいは、そんな厳しい環境の中でこそ、生き延びてきた逞しい植物というべきか。
茜草は、一つの株から何本もの茎を伸ばし、その茎が地面を這い進んで、ある一定のところから、草むらの中を上方へ向かう。そして細い茎の先端を草藪の最上部に出し、他の草に絡みつきながら勢力を伸ばしてゆく。数本の群生を見つけたら、まず地面を這って伸びている茎を伝って、その大元というべき株の根っこを探り当てる。するとそこから四方八方に勢力を拡張している茎が見つかる。そこを掘り始める。すると間もなく、地中に張り巡らされた赤い根が見つかる。一本見つかると、あとはもう芋づる式というか、際限なくというか、
かなりまとまった数量の「赤根」が得られるのである。藪を払い、ギザギザの茎で手を少し傷め、
掘り進んでいく根気さえあれば、ある程度の量が確保できる染料であることが判明した。
やってみるまで分からぬということは世に多いが、茜も例外ではなかった。
根気の要る仕事は女性陣にまかせて、山案内の翁はしばらく沢へ。
まだ露の残っている真夏の朝の渓流で、威勢のいいヤマメを二匹釣り上げて、気分爽快。
この谷に昔からいる天然もののヤマメだ。体側に紅色の横線が走っている。
これが採集した茜草の根。文字通りの赤い根である。沢の水できれいに洗っておく。
煮沸。すぐに赤い染液となった。
布を入れる。呉汁付けをし、ミョウバンで先媒染しておいた木綿のバンダナ、Tシャツ、
広幅の木綿布などを染める。みるみる赤い色に染まり始めた。
森の中の作業風景。地元の女性たちも参加してくれたが、畑の縁に生えている厄介な雑草から、
このような鮮明な色の出ることに感嘆の声があがる。
染め上がった布が、森の中を吹く風に翻る。
鹿肉と夏野菜と薬草のカレーを作った
[空想のもりれの草木染め<番外>]
「茜染め」/森の中の染色風景を追加。
晩夏の山は、秋の花が花盛り。夕食には、先日解体した鹿肉と、諸塚産の夏野菜、
この日に採集した薬草などを加えてカレーを作った。
カレーに入れた薬草は、イワタバコの葉、クサギの花、クチナシの花、ヨモギ、ハギの花。
カレーは大好評。なんといっても素材の良さだ。満腹後に、カレーをまた一皿、そしてビールを。