〈1〉
一度、仮面をすべて壁面から下ろし、壁の装飾パネル等も取り外して、
漆喰の壁を塗り重ねる作業が始まる。
蛇の抜け殻が、天井の梁の裏側から出てきた。長さは小学5年生のテッペイ君の
身長とほぽ同じ1メートル50センチ弱。この家の守り神・青大将だ。
「漆喰」とは、まことに便利な塗料である。一度塗れば、100年以上もその機能を保つ。しかも、年を重ねるごとに美しさを増してゆく。お城の白壁や、古い街並みの白壁群などを思い起せば、納得していただけるだろう。漆喰は消石灰(水酸化カルシウム=石灰石)を主成分とする。石灰石はサンゴの群生したサンゴ礁が長い年月をかけて地殻変動などで隆起し、陸地になったもの。これが石灰鉱脈で、ここから石灰石を採掘する。一部を粉砕して消石灰を作る。この消石灰に糊(のり)やスサ(植物の繊維)を加えて、水で練ったものが漆喰。日本では貝殻を粉砕して得たものに良品があるという。糊は海藻を使い、スサは麻の繊維が使われることが多い。漆喰は呼吸するといわれ、水にも火にも強い。まことに優れた自然素材なのである。この漆喰は世界中で古くから使われた壁塗り素材で、地中海の青い海の色に映える白い家もその一つ。今回は、漆喰と白の水性塗料を半々の割合で混ぜ、水で薄めて刷毛で塗る作業。下地にすでに漆喰が塗られているから、これで塗りたての状態と変わらぬ仕上がりとなって再生される。
「面様(めんさま)」たちは廊下や食堂の天井に一時避難していただいている。不自由な場所から作業の進展を見守り続けてくれていることだろう。この仮面たちがふたたび壁面へ戻ってゆくとき、室内が「神々の空間」へと変異する。その過程を体験し楽しむワークショップも計画されている。
皆で行う展示替えもARTなのである。
〈2〉
仮面展示ワークショップの始まり。床に並べられた「面様」たち。これだけでかなりの迫力。
この仮面神の性格・用途・制作年代などを説明して、展示にかかる。
その前に、一人ずつ、それぞれの好きな面・気になる面などを手に取り、「変身」するパフォーマンスを行う。世の中は「鬼滅」という言葉が流行っているが、「鬼」とはもともと祖先を表す神様。この日本列島先住の精霊神である。それが「大和王権=日本国」の樹立とともに封じられ、制圧される存在となった。それでも鬼たちは完全に滅びることはなく、人々の心に生き続けたのである。それが神楽の鬼である。手厚く祀れば、鬼は村や家族や仲間を守る守護神となるのである。そのことを説明し、子どもたちにも理解してもらって展示を進めてゆく。これがこのワークショップの主眼である。
仮面とは、それを顔につけた瞬間、変異する装置である。国づくりの英雄や先住の列島土地神・鬼神、呪力を持った女性シャーマン、剽軽な道化神、木や岩・水源などを司る自然の精霊などなど。
さて、各々、どのような鬼に「変身」するか。
「展示」を始める前に、一人ずつお気に入りの仮面を手に取り、被って、「変身」するパフォーマンスを行ったので、「鬼」「国造りのヒーロー」「地主神」「女面」「道化神」「守護神」などさまざまな用途や起源・性格を持つ仮面神と対面する時間が出来た。仮面の多くは「鬼」であるが、その「鬼」とは、神楽の主役であり、日本列島先住の精霊神であり、村や家の祖先神・守り神である、という主旨を、皆が理解してくれたものと思う。怒りの表情や哀しみを湛えたまなざし、慈愛の笑顔、剽軽ではあるが反逆の精神をちらつかせる歪んだ顔。その深奥に宿る変幻の世界を垣間見るのが、「仮面」との対話のときなのである。
仮面神が発する信号とそれぞれの心の中の声とが響き合う。
〈3〉
民藝運動の創始者・柳宗悦は、「収集も創作である」と言った。およそ100年前のことである。
それを継承発展させる気概を込めて、「展示も創作=芸術活動である」と私は言った。
このフレーズはこれまでに何度か書いたが、また書く。テレビの化粧品のコマーシャルほどの頻度ではないし、旗印や標語というものは繰り返し掲げ続け訴え続けてこそ時代の共通認識となって育ってゆくものなのであるという把握による。かつて、「暮らしの手帖」を創刊し、取材から執筆、編集やデザインまですべてをこなした花森安治は、「一銭五厘の旗」という一書を著し、次代へのメッセージとして神界へと旅立った。花森が掲げた一銭五厘の旗は、時の政治に鋭い批評の刃を突き付け、世評や一般常識にさえも批判の言葉を叩きつけた。それが花森安治と暮らしの手帖社の掲げた旗だったが、
それから半世紀を過ぎて、その主張は普遍化し、社会の共通認識となった。
私たちの「仮面展示」は、それほど激しい主張をしているわけではないが、参加者それぞれの感慨を秘めながら進んでゆく。なにより、床に置かれていた仮面たちが、壁面に掲げられると、たちまちその空間が
「神の座」と言うべき神聖を獲得し始め、空間が一瞬の間に変化することの鮮度が高い。
それに当日の参加者の心意が反応し、次なる空間を創出してゆくのである。
これこそ、「展示」が「創作活動」であるとする由縁である。
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