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   質実剛健の「黒」


                       

苗代川の「黒もん」

司馬遼太郎の膨大な著作群の中に「故郷忘じ難く候」という名品がある。
豊臣秀吉による朝鮮出兵、すなわち文禄・慶長の役(十六世紀末)の折、
薩摩藩島津氏によって連行された、数十人の朝鮮人陶工により、
薩摩藩内に次々に開窯された窯が、薩摩焼の源流をなした。
以来四百年、盛衰を繰り返したが、その末裔である苗代川焼陶工・沈寿官氏とその一族
を取材した作品である。やみがたい望郷の念を抱きながら異国の地に生き続けた
陶工たちの痛哭の詩、「ものづくり」に賭ける工人たちの強靭な魂などが記されて胸を打つ。

慶長4年(1599)、薩摩藩内串木野の島平に上陸した朝鮮人陶工たちは、
そこに串木野窯を築き、以来各地で薩摩焼の窯元が開窯した。それらの窯は発展と衰退を
繰り返し、現在、「薩摩焼」の系譜として「苗代川系」「龍門寺系」「堅野系」
「西餅田系」「平佐系」に大別され、これに「種子島系」が加わる。

400年余りの歴史を持つこれらの鹿児島県内(旧・薩摩藩内)で作られるやきものを
「薩摩焼」と総称し、庶民の日用雑器としての黒薩摩(黒もん)と、藩専用であった
白薩摩(白もん)の2系統がある。当初は「黒もん」を作っていたが、
白土が発見されると「白もん」も製作した。
「白薩摩」は白土を生かした黄色がかった白地の肌に細かな貫入が入り、
赤・青・緑に金彩を施した豪華で精緻な焼物で、長く藩主御用達として栄えた後、
明治時代にはパリ万国博に出品されて絶賛され、ジャポニスムの源流の一つとなった。
大型の花器のほか、茶器、香炉などが作られている。
「黒薩摩」は庶民の日常雑器として製作されたが、その漆黒の焼色は
質実剛健の気風を秘め、「民芸の雄」として愛好それている。
苗代川焼は串木野窯から別れた陶工たちが東市来町美山(現・日置市)に開窯、
現在に受け継がれている。沈寿官氏もその一人である。

筆者・高見は今から30年ほど前に、この苗代川の地を訪れ、静かな集落を歩いたことがある。
当時、村のそこここに窯元の展示場があったが、展示されているのは絢爛豪華な「白薩摩」
と肌の滑らかな黒釉の「黒薩摩」ばかりで、いわゆる骨董・民芸の世界でいう
ざっくりとした味わいの「黒もん」すでに焼かれていないようであった。
白薩摩こそが「薩摩焼」の主流であり、現代の需要がそれであるならば、
それもまた歴史の一断面であると認識したが、以来、私は苗代川の「黒もん」は
骨董の世界でだけ求めるものとなった。「苗代川の黒」にこそ、陶工たちの哀歓、庶民の素朴
かつ繊細な美意識、南国の風土が醸す深い味わいなどが秘められていると思うのである。

                   
                

                苗代川 茶壷
                      江戸時代 30000円 

高さ約28cm、幅(胴の膨らみの部分)26cm、平均的な大きさの茶壷である。藩主への献上品ではないが、藩内の富裕層が用いたものであろう。木の蓋をして布で覆い、紐で縛るための四つの耳も付いている。黒々とした陶肌と胴部のゆたかな膨らみが、南国の古風な家の重厚な暮らしを想像させる。口辺から肩へかけて、細い罅が走っているのが惜しまれる。
                

                苗代川 茶壷                                       江戸時代 40000円

前掲の茶壷に比べると、高さ21cm、幅(胴の膨らみの部分)20cmと小ぶりの茶壷である。
色はやや褐色がかっており、質朴さに上品さが加わった優品である。貝高台(貝殻の上に乗せて焼かれたことから底部に貝殻の跡が残る)であることから、製作期が江戸初期と特定できる。

                     

                苗代川 口付き徳利
                       江戸時代 20000円 

このタイプの口付き徳利は数が多く、もっとも愛好される苗代川焼の代表選手であるが、掲出は高さ21cm、幅(胴の膨らみの部分16cmと小ぶりで愛らしい逸品である。真っ黒ではなく、暗緑色がほどよく全体を多い、所々に茶褐色と黒がみえるのもよい。焼酎徳利、醤油徳利などして大量に焼かれ、使われ続けた器であるが、花器としても人気が高い。このタイプの徳利は、明治期を最後に焼かれなくなったが、骨董の青空市などでは良く見かける。盛期には大量に焼かれたものであろう、粗雑なものも多いが、時に優品にも出会う。


                  

                苗代川 擂り鉢 二点  
            江戸時代/(大)25000円、(小)20000円 

これは、時代的に用途を亡くして久しい焼物である。このような大鉢で、山芋などをすりおろしてトロロ飯などを作ったならば、美味だろう。大小二点を野に置き、並べてみた。折から咲き誇っていた彼岸花を折り取り、ざっくりと投げ入れてみたのである。


                  


               苗代川 漏斗(じょうご) 
                江戸時代 15000円

これもまた、用途を失って久しい器物である。大きな樽から、酒や醤油を小さな甕または壺に移し入れたものであろう。入手して30年ほどになる。捨てるわけにも行かず(捨ててはいけない歴史遺産である)、方々を持ち歩いている。今回、窓辺に置き前掲の彼岸花の残りを三角形のざるの上に乗せた種子島焼・能野の箸立てに放り込んでみたら、なかなかの風情となった。


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